教員不足と教員志願者の減少が止まらない――
とは、近年頻繁に報じられる事項の一つである。
その対策として今年度は「教員採用試験の前倒し」が文部科学省のお声がかりで大々的に行われたのだが、それをやった機関の85%でむしろ受験者は昨年度より減少したことが報じられた。
(⇒ 朝日新聞 2024年11月23日記事:教員採用、日程前倒しも受験者減8割)
もちろん、と言っていいだろうが、採用試験を前倒ししたら教員試験受験者数が増えるなんて、世間の誰も思いはしないだろう。
これは間違いなく、文部科学省の中の人だって思っていないはずである。
問題はそんな小手先のことではなく、本質的なところにある。
その本質的なこととは、(これまで本ブログでも何度か書いてきたことだが)教師・教員という仕事が危険極まるハイリスクの職業だと広く認知されていることにある。
(⇒ 2023年5月6日記事:学校教師ブラック人手不足-公教育の廃止と「オール塾化」論)
あえて、最近よく使われる「オールドメディア」という言葉を使うが――
とにかくオールドメディアの報じるところによると、学校で起きることは全て学校と教員のせいである。
特に「イジメ」事件についてはそうなのだが、イジメなんてイジメをやる生徒自身が最も悪いのはわかりきったことである。
その生徒らが未成年だからと言うのであれば、その親らに監督責任があるとするのはわかりきった理屈である。
しかし、にも関わらず、オールドメディアが責めるのは学校・教員・教育委員会だけであり、イジメ実行生徒やその保護者らを責めることは全くない。
またオールドメディアが報じる「その他の保護者の声」なども、全て学校・教員の責任を問う声のみである。
決して、イジメ実行生徒やその保護者らを責める声は報道しない。
(どのイジメ事件を取材してもそういう声を一切聞かなかったというのは、絶対にありそうもないことだ。)
これはほぼ全てのオールドメディアの一貫した態度だと言っていいだろうが、まことに驚くべき態度ではあるまいか。
さて、こういったオールドメディアの報道は過去何十年も続き、今でもそうであり、近い将来にそれが変わる気配も見受けられない。
そのような状況でまだ学校教師になりたいと思うとか、わざわざ勉強して採用試験を受けようとかするのは、むしろその方が常識を欠く異常な心持ちだとは言えまいか。
学校教師になるなんて、地雷原に踏み込むようなもの――
それもいつか確実に地雷を踏むだろう、なにしろ何十年の職業生活で地雷生徒・地雷保護者を一度も踏まないなんて考えられないのだから――
と若者が思うのを、どうして責めたり否定したりできよう。
赤の他人のクソガキがイジメをやったら自分が責められる・糾弾される(そして当のクソガキは公式には責められない)……
そんな仕事は真っ平御免、相当のカネを積まれてもなろうとは決して思わない。
それは、人として実に当たり前で健全でマトモな精神と言うべきだろう。
確かに教員不足は深刻な問題には違いないが、しかし一面では、ようやく若者の精神なり職業意識がまっとうで健全になってきた表れとも言える。
かつて日本教職員連合会(日教組)は、「教え子を戦場に送るな」と言って戦争に反対した。
しかし現代では、当の現役教師たち――一部の私立校は例外かもしれないが――の多くは、「教え子を地雷原(も同然の学校)に送るな」と強く叫びたいところかもしれない。
はたして現代、自分の子どもを学校教師にしたい学校教師というのは、どのくらいいるものだろう。
もしいるとしたら、それはもしかしたら「毒親」というものかもしれない……
と、多くの人が思うのではなかろうか。