いよいよ学校教師(教員)の人手不足が、深刻化・顕在化するようになってきたらしい。
(⇒ 読売新聞 2023年5月5日記事:教員1年目「覚悟していた以上」の激務に退職…「隠れ残業」当たり前、休みは月2日)
このブログでは、(遺憾ながら)学校教師・教員という職業がいかに危険極まるものであるか、そんな立場に立つのは可能な限り避けるべきものとなっているか、何度となく書いてきた。
要するに現代は、「人と接するリスク」が――ほとんど唯一のリスクと言ってよいほどに――べらぼうに高いのである。
特に教師なんて職業は、「ヘンな奴リスク」がべらぼうに高いのである。
何十年も、いやほんの数年学校教師を勤めるだけでも、何十人の生徒・保護者と接することになる。
その中に「ヘンな奴」が1人でも混じっている可能性は、これは100%と言っても過言ではなさそうだ。
それが定年まで何十年も続くというのは、考えるだに恐ろしいことである。
たった一人のヘンな奴と遭遇するだけでも、職業生活も人生までも曲げられる(最悪の場合、破滅する)ことになってしまう。
特にイジメ自殺なんて発生すれば、問答無用でそれは「学校」「教師」のせいである。
そうでないように報道されたことって、あなたは一度でも見たことがあるだろうか。
今はもう学校教師になろうだなんて、まるで地雷ウジャウジャの戦場に行くようなものではないか。
そして必然的に――昔の中国人の「兵隊」に対する意識ではないが――、そんな職業に就こうとする者はロクなもんじゃない、程度が低い、なんて雰囲気になってしまうものである。
かつて日教組(日本教職員組合)は、「教え子を戦場に送るな」と言っていた。
しかし今や皮肉なことに、その戦場とは学校のことになってしまった。
どこの学校も本当にブラック労働なのか、残業代なしのタダ働きが横行し、部活顧問の「仕事」でテンテコ舞いなのか――
それは正直、私にはわからない。
しかし学校教師の有する「ヘンな奴リスク」があらゆる職業の中で飛び抜けて高い、というのはほぼ確信できる。
そんな仕事に若者が就こうとしないのは、むしろ精神の健全さを示すものとさえ言えるだろう。
さて、そう言っていても仕方ないので、いま流行りの「異次元の解決策」というのを考えてみよう。
これはたぶん、誰もが思いついたことがあるだろうが……
公教育を廃止して教育機関は全て私塾としたら、どうなるだろうか。
思えば不思議なことに、同じ教育職でありながら、「塾の先生」が世間から叩かれることはほとんど(全く?)ないものである。
それどころか学校教師が世間からいつも叩かれるものである一方、塾の先生は逆に敬われているようでもある。
学校の授業より塾の授業の方がレベルが高い――
というのは、もはや日本人の一般常識みたいなものではないか。
だったら、公立学校は廃止して全てを私塾(私立学校は存続してもよいが……)にしてはどうなのかと思うのは、素直な考え方というものだろう。
私はつくづく思うのだが、塾の先生の方が学校の先生よりレベルが高いのは当たり前の話である。
塾の先生は授業以外の「余計なこと」はしなくてよく、授業に集中できるからだ。
これで塾の方がレベルが低ければ、全くどうかしているではないか。
であれば、教育機関は全て塾とすればよい。
おそらく低所得者には低所得者向けの塾企業が、進出してくれることだろう。
もちろんこんなことは、夢物語ではある。
しかし方向としては、公立学校は「塾化」する方向に行くしかないのではないか。
部活もPTA活動もイジメ対応も、各種の書類仕事も――そういうのは外注するか警察・警備会社が直接対応する――、切り離す方向に行くしかないのではないか。
現代人が最大のリスクとする「人と接するリスク」「ヘンな奴リスク」をとにかく低減していかないと、教職志望者は減少の一途を辿る――
と、予言したくもなるものである。