2月28日、厚生労働省の人口動態統計速報値により、2022年の日本の出生数は79万9728人(前年比5.1%減)で、統計開始以来初めて80万人割れとなったことがわかった。
とはいえ、こんなことはわかっていたことだ。
同じく2022年の死亡者数は158万2033人と過去最多であり、差し引き総人口は約78万人減ったことになる。
これくらいのペースで人口が減り続けるのは今や「常識」なので、いまさら驚くようなことでもない。
さて、常識と言えば――
「恋愛しない」「結婚しない」「子どもも欲しくない」というのもまた、もはや常識のレベルに達しているのではなかろうか。
仕事して疲れて家に帰ってきて、なお家庭生活や子育てなんかしたくない。
こう思うのは、それこそ「共感の嵐」ではないだろうか。
休日にベビーカーを押して買い物や家族外出している夫婦を見て、
「せっかくの休日にオレはあんなことしたくない」
「アタシはああはなりたくない」
と感じるのは、異常な精神だろうか。
それはむしろ、もっとも至極で「当たり前」の感じ方とは言えまいか。
全くデータなく言うが、現代日本人の半分以上は上記のような感じ方をしている――
すなわち、これこそが現代日本人の常識的な感性だと捉えるのは、はたして的外れだろうか。
さて、少子化・非婚化の原因としてほとんど全く言及されることがなく、しかし私が個人的に「決して軽くない」要因になっているものと思うのが、世にいうカスハラ……カスタマー・ハラスメントというやつである。
(⇒ 中国新聞 2023年2月28日記事:カスハラ、学生バイトが標的 社会への船出前に失望、中年男性が苦手になり就活失敗も)
カスハラを受けて傷つくのは、日々それとの遭遇に怯えているのは、何も学生バイトだけではない。
「不幸にして」接客のある職業に就いた人は、みんなそうである。
要するにもう、人と接すること自体が巨大なリスクなのである。
それは大袈裟に言えば、地雷原の戦場に送り込まれるようなものなのだ。
そんなのを社会に出る前に経験し、社会に出たらこんな危険な目に遭い続けるのかと思い……
現実に社会に出てもカスハラに遭遇する日々だとするなら、
その人が「人と接する」ことをせめて職場だけに留めようとするのを、いったい誰が責められよう。
恋愛なんかして結婚し、誰とも知れぬ配偶者の親族と付き合うようになり、
子どもができたらPTAだのママ友だのと接しなければならなくなる――
なんて思うと嫌でたまらない気分になるのを、どうして阻むことができよう。
人と接することが少なければ少ないほど、精神的なリスクは低まる。
もし一人でも「ヘンな奴」に遭遇すれば、それだけで人生がメチャクチャになり、そこまでは行かなくても面白からぬものになる可能性は濃厚にある。
つまるところ多くの現代日本人は、人間関係を持つこと自体にリスクを感じているように思われる。
今現在の――学校や職場の――人間関係に倦み、このうえ新しい人間関係を持とうなどリスキーで億劫なものでしかないと感じているように思われる。
そしてその感じ方は、100%とはいかないが、確かに正しいのではないか。
だとすればこれは、政治が悪いとか経済低迷が悪いとか言うより、「国民の自業自得」としか言いようがない。
そしてまた、これを「改善」するということはまず不可能ということでもある。
とはいえカスハラへの対策と根絶は、少しばかりは少子化非婚化の克服に貢献するところがあるだろう。
「人と接するのは恐ろしいリスク」と感じる若者が少しでも減れば、それはたぶん、いいことなのだと思われるから……