プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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こども園侵入殺人未遂事件-死刑に犯罪抑止力はなくてもWin-Win効果はある

 11月9日10時40分頃、宮城県登米市の豊里こども園に刃物を持った31歳の男が(柵を越えて)侵入し、男性職員に襲いかかったが格闘の末に取り押さえられるという事件があった。

 男は「子どもを殺すために侵入した」と言っているという。

 おそらくこれも、例によって「人を殺して死刑になりたかった(自殺する度胸はないので)」の一例だろう。

 こういう事件で誰もが思うのが――

 「この、格闘して取り押さえた男性職員は素晴らしい。これぞ真のヒーローだ」

 ということの他に、

 「この男、誰も殺してないから軽い刑期ですぐショバに出てくるんだろう。何て恐ろしい……」

 ということであるに違いない。


 ところで死刑廃止論でよく言われるのは、「死刑に(犯罪)抑止力はない」ということである。

 特に「人を殺して死刑になりたい」という動機で殺人を志す者に対しては、まさにこれが当てはまる。
 
 抑止力がないどころか、死刑があるからこそこんな動機を触発している――

 死刑が存在しているということ自体、こんな人間の思う壺なのだと言うこともできる。

(もちろん、犯人が本当に本心を言っているとして、ではあるが……)


 では、死刑は効果がないから逆効果だから、廃止すべきだろうか。

 そうは言えない理由は、主に二つあると思う。 

 一つは、死刑には抑止力が「まるで」ないのではなく、「抑止力が効かない人もいる」だけの話だろうことだ。

 自分では死ねないから、あえて人を殺して死刑にしてもらいたい――

 これが世間では変わり者でありごくごく少数派であることは、(誰もが思うように)明らかだと思われる。

 死刑の存在が1人の変わり者には抑止力にはならないとしても、10人の人間の殺人を抑止している可能性は充分すぎるほどにある。

 なんたって大多数の人は、「万引き」でさえも罰(刑法の刑罰に限らず、社会的制裁も含める)を恐れてとてもやれないくらいである。

 それでも「窃盗癖」という病気を持つ人は万引きを止められないが、だから窃盗罪への刑罰が万引きの抑止力になっていないなどと、いったい誰が言えるだろう。


 二つ目の理由は、ごく一部の変わり者に対しては死刑の抑止力はゼロだとしても、しかし抑止力以外の効果が明らかにある、ということである。

 すなわち死刑は、そういう危険な変わり者を世の中から削除する機能がある。

 この絶対に誰にも否定できない「削除機能」は、ハッキリ言って素晴らしい効果ではあるまいか。

 この効果に比べれば、抑止力がゼロだなどということは全くどうでもよいことに思える。

 そしてオマケで言えば、これは社会と殺人(未遂)犯が、Win-Winの関係になることさえも意味する。

 社会は有害で危険な人間を削除でき、本人は希望を叶えてもらえる。

 これをウィン-ウィンの関係と言わずして何と言おう。

 なるほど、あなたや被害者の遺族にとっては、犯人の希望どおりに事が運ぶことを「許せない」「業腹だ」と思えるに違いない。

 しかしながら、犯人が罪を犯した時点で我々は既に許せないし業腹なのだし、結局犯人が(死刑にならずに)どう反省したからって、許せないことには変わりない――

 だから、どうせ許せないのなら、犯人が自分の望みどおりこの世から削除されるのを認めるのが至当だろう。

 別にいいではないか、犯人が大言壮語と悪態を止めないままに死刑になったって……

 どうせ死んでいなくなるのだし。


 ましてや今回の事件では、幸いなことに犠牲者が一人も出ていない。

 よって犯人は、絶対に死刑にはならないのだが……

 だから思うに、もし動機が「死刑になりたいから」という殺人犯・殺人未遂犯の場合、

 裁判所は「死刑を希望する」にマルを付けるなり自署させたりして、本人の希望で死刑を選択できるように法改正をすべきである。

 (別に犯人の弁護士が同席であってもいい)

 
 これは被疑者の意思を尊重しているのだから、何の問題もないはずだ。

 本人が応じれば社会は莫大な利益を得るし、本人も本望なのだから、誰が文句を付けられよう。

 また本人が応じなければ、それは自分がヘタレだということを証明するまでである。

 そういう「自分はヘタレ」という自覚こそ、真に再犯防止に効果を発揮すると思われる。

 「選択制夫婦別姓」ならぬ「選択制死刑制度」も、あっていいではないかと思うのである。