ニッセイ基礎研究所というところは、いろんな社会事象について精力的にレポートを発表している民間機関である。
(もちろん母体は、保険会社の日本生命だ。)
つい先日も、『「未婚の原因はお金が足りないから」という幻想』というタイトルのレポートがサイトに上がっていた。(天野馨南子 研究員)
http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=53766?site=nli
内容はもちろん原文を見ていただくとして、私なりに結論だけ抜き出すと、
●結婚できないのは「(実際に)お金がない」からではなく「お金が必要」という思い込みがあること。
●男女とも、「男性の(相当の)稼ぎがなければ家庭を支えられない」という思い込みが足枷になっていること。
●「結婚にはまだ早すぎる」という意識が、結婚へ向けてのスタートを遅らせている。
というものである。
このことについては、私もこのブログ及び【社会・ニュース・歴史編】で何本か記事を書いている。
そして改めて何度でも思うのだが、根本的な問題は、我々現代日本人が「美人資本主義」の時代を生きているということである。
(関連記事は、本ブログと【プロレス・格闘技編】を「美人資本主義」で検索されたい。)
現代日本の若い人(若くない人も含むが)の悪癖として決まって挙げられるのは、「結婚相手に求める要求水準が高すぎる」ことである。
特に、女性が男性に求める年収水準が現実よりずっと高いものであることは、腐るほど人口に膾炙している。
(上記レポートでも、そのことを実証する調査結果が示されている。)
高望みするな、夢みたいなこと言うな、とは、我々が他人に対して決まって“忠告”することの一つだろう。
それは当たり前で、ごくまっとうな常識論としか見えない。
しかしブログでも本でも何度も書いてきたことだが、この世で絶対確実な社会理論の一つは、「自分だけは例外」原則なのだ。
自分だけの希望は、(他の人と違って)高望みでも夢物語ではない。
友達や他人と喋るときは「そんなの高望みだよね、わかってる」とか言っても、ネットにそう書き込んだとしても、やっぱり内心は「しかし自分だけは例外」なのである。
だが、それを無理からぬことにしている要因は、「自分だけは例外原則」だけのせいでも、己のバカさ加減が組み合わさったせいでもない。
それはむしろ当然のなりゆきであり、環境への適応と言ってもよいほどだ、と私は思う。
私は男なので男の視点から言うが、この自分という男が美人と付き合う/結婚するというのは、本当に夢物語だろうか。そんなに遠い話だろうか。
いやいや、全然遠くはない。むしろ身近にたっぷり氾濫しているのである。
我々は今、どこで何をしてもどれを見ても美人ばかりの時代に生きている。
雑誌にもテレビにもゲームにも、街を歩いても広告などには全て美人が溢れている――いや、ほとんど美人しか見かけることがない。
いったいあなたは、美人がヒロインでないドラマや映画、漫画、ゲームを見たことがあるだろうか。
たとえあっても、それが世のコンテンツの主流であるとか過半数であるとか、いや珍しくはないよなどとはよもや言うまい。
特に二次元世界では、美人でない女性や女の子など一人もいないと言って過言ではない。
邪悪な敵の女キャラでさえ美人であり、仮にもし醜い女が出ようものなら、それは間違いなく善の側ではない。
今の男性は、美人や美人との恋愛・交流が身近であるどころか「包囲されている」とまで言ってよい。
こんな環境下では、「美人にあらずんば女にあらず」「美人と付き合わなければ付き合ったうちに入らない」と男が思うのは、当然至極のことではあるまいか?
むろん、街を歩けば広告の中の美人だけでなく、現実の男女のカップルもいる。
その中には女の方が明らかにブサイクで、男の方は「え、けっこうカッコいいんじゃないの」と思うような組み合わせも確かにある。
しかし“ごく自然に要求水準の高い”=“美人でなければ付き合ったうちに入らないと自然に思う”男たちは、それを見て羨ましいとか焦ったりはしないのである。
アイドルやAV女優、タレント、漫画・アニメ・ゲーム世界の美少女キャラ――
そんなのと同程度の美人美少女が「オマエなんかと」出逢うことなどないし、まして付き合い・結婚することなどないし、そもそもそんな女が近くにいるもんかよ。
それは「年収ウン百万の男なんているもんかよ、いてもオマエなんかと付き合うかよ」と女性に言うのと同じく、正論ではあろう。
しかし何度も言うが、この手の幻想は我々の周りに充満している。
たとえ幻想であれ夢物語であれ、それで周りが満たされていれば、それは現実ではないだろうか。
そして言うまでもないことだが、もう一つの現実には――我々が現実と読んでいる現実、及び我々自身の身近には――、そんなに美人が満ちているわけではない。
このギャップが「恋愛離れ」「結婚離れ」の大きな大きな要因となっていることは、私には疑う余地がないと思われるのだが。