プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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理想の女性像は「美人でバカ」から「美人で頭がいい」へ――ハードルは上がり対象者は減る

 かつて男にとって最も好ましい女と言えば、「頭がカラッポな美人」というものであったらしい。

(20世紀前半の海外翻訳小説を読んでいると、登場人物がそんなことを言うシーンにちょくちょく出くわす。)

 しかし、今の男は違う。

 「自分より頭がいい、学歴が高い、収入が高い、社会的地位が高い、背が高い」女性に対しては敬遠するとか気後れするとかいう感情は多少残っているにしても――

 基本的には「バカな女は嫌」という共通認識はあるのである。


 たぶん大学に行った男性のほとんどは、高卒女子など初めから恋愛対象外にしていない(したくない)のではなかろうか。

 逆もまた真で、大学に行った女性のほぼ全ては、高卒男子に惚れることなどないのだろう。(ないし、惚れることに心のブレーキがかかるのだろう。)

 もうこれだけで、男女がそのパートナーを選ぶハードルは相当上昇したと言える。

 「美人だけど頭はよくない」女子人口より、「美人かつ頭がいい」女子人口が少ないのは論を待たない事実だからだ。


 恋愛・結婚を求めながら得られない男女が、相手は「普通の人でいいのに」「贅沢は言わないから、最低限でいいのに」と言う/思うのは定番である。

 その「普通」と「最低限」の基準が途方もなく高止まりしているという指摘も、これまた聞き飽きた話だろう。
 
 しかし我々は、いざ自分や我が子のことになると、そういう基準が高いものだとは思わない。

 大卒(しかも、場合によっては「一定以上の名声の大学」)の相手としか付き合いたくないという願いは、当たり前の最低限の要求(ないし権利)となる。

 それは高望みですよ、ハードルを下げた方がいいんじゃないですか、などと言われれば、「は?」と怒りさえする。「そこまで妥協したくない」と真剣に思う。


(なお、ついでに言えば、ハードルを高止まりさせているのは本人ばかりでなく親もそうだ。

 大卒の娘を持つ親が「高卒止まりの男なんかにウチの娘をやるわけにはいかん」とナチュラルに思うのは、庶民の間できっとありふれたことだろう。

 娘を大学に行かせること、娘が大卒の男と結婚することは、現代の大多数の親にとってスタンダードな既定路線である。そうじゃないことなんて想定もしていないのである。)


 女性が恋愛・結婚相手の「最低限」の年収をウンヌンすることは、常に揶揄を持って語られる。

 それは常に現実離れしたものとされ、対象者数を極めて限られたものにする「高望み」とされる。

 しかし私は、現代の生身の女性が(男性の潜在意識の中で)求められているものも、相当現実離れしていると思わないではいられない。

 私はゲームは全くやらないしアニメも漫画もほとんど見ないが、そこに出てくる女性や女の子は、彼女らと恋愛関係に陥る男たちよりずっと「強い」ことがしばしばある――

 と言うより、それが普通のパターンのように思える。(ネットを見ていると、そういう女性の姿を嫌でも見ることになる。)

 銃や剣を振るい、魔法や特殊能力を持ち、あるいは果断・知的な性格と態度によって敵と華々しく戦う。

 そのセリフはカッコよかったり感動的な真心のこもったものであったり、そうかと思えば機転や頓知や天然の入った面白いことも言う。プロポーションは巨乳グラマーのことが多い。

 それでいて可憐で純なところもあり、「ごく普通の」少年や「何でもない平凡な」男にベタ惚れしているのが標準でもある。

 そして言うまでもないことだが、全てことごとく美人か可愛い外見に描かれている。ブスであることは絶対にない。

 現代の男子は、子どもの頃からそういうコンテンツに囲まれて育つ。

 こんなのが理想の相手の「最低限」の基準を育むとすれば、女性にとってたまったものではあるまい。