プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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F1「レースクイーン廃止」の衝撃 その1-「女を武器にする日本のメディア」はどう反応する?

 これは、なんとも重大激震ニュースに聞こえてしまう。

 このブログでもさんざん“美人資本主義”について書いてきたので、いささかなりとも何か書く必要があるだろう。


 モータースポーツの頂点であるF1(フォーミュラ・ワン)は1月31日、その公式サイトで――

 「“グリッドガール”の廃止を決定した」とコメントした。

 これを日本の一部ネットメディアは“レースクイーン廃止”と報じたため、俄然注目を集めた次第である。

(他人事のように書いているが、もちろん私も注目させられた。)

 

thepage.jp

 

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 レースクイーン――それは男の夢の一つである。

 たとえ実物の姿を見ることはなくても、その単語だけでエロスを感じさせる言葉である。

 なるほど日本人である限りは、車のレースにレースクイーンがいるのは当たり前であった。

 レオタードを来た若い美女が笑顔で手を振り、それをカメラがアップで写すというのは、あって当然の光景だった。

 しかしおそらく外国では、日本ほどレースクイーンがカーレース会場や中継で大きな役割を果たすなんてことは元からなかったのだろう。

 その正式名称もグリッドガールであり、レースクイーンというのは改めて考えてみれば和製英語臭い。

 レースクイーンがカーレースになくてはならぬ華だというのは、日本だけの特殊ローカル現象だったのかもしれない。


 今回の発表でF1側は、レースクイーンことグリッドガールの存在について――


「この慣習は我々のブランド価値に合うものではない」

「現代の社会規範とかけ離れている」

「この慣習は世界中の長年の、また新しいファンを含め、F1に適しているとは思えない」

グリッドガールの存在は、今日の道徳規範では性差別的で時代遅れだと多くの人々からみなされている」(これはF1の興行オーナー会社である、リバティ・メディアが昨年から言っていること)


 など、もうクソミソに完全否定である。

 確かに「グリッドガールを映すのに費やす時間が、商業的にもったいない」という収益的な側面もあろうが――

 やはり、あんな“女を売り物にする”“女を武器にする”ような存在は女性差別・女性蔑視だ、という世論への対応という側面は、非常に大きいのではなかろうか。


 今回の件は、フェミニストをはじめ女性蔑視に反対・糾弾する陣営にとっては、お赤飯を炊くべき事件である。

 そしてこの影響は、もちろんモータースポーツ界にとどまる話ではない。

 グリッドガールだろうとレースクイーンだろうと、ああいう“女性性を売り物にする”存在が、「現代の社会規範とかけ離れている」というなら……

 例えば、格闘技大会のラウンドガールだってそうである。

 この真冬の時期なのに、毎号毎号ビキニ水着の若い女の子を表紙にしている少年漫画誌・青年誌だってそうである。

 そういえばバイク雑誌やクルマの雑誌なんて、バイクや車とセットで(それなりにセクシーな服を着た)女の子が写っていないことはない。 

 そしてもちろん「東京モーターショー」なんて、クルマが主なのかコンパニオンが主なのか全然わからなくなっているのは、誰もが思っているとおり……

 いや、それを報じる新聞社のネット記事を見る限り、完璧にコンパニオンが主役としか言いようがない。


 F1という世界中の誰もが知ってる超有名興行が「女性性を売り物にする存在は、現代の社会規範に合わない」と断言した以上――

 それらをさんざん使用して商売してきた雑誌・新聞の製作者、イベント主催者らは、ここで突然再考を迫られることになる。

 特に日本の大新聞社、それこそ読売・朝日・毎日・産経の四大紙すべてが、ことごとくそのネット記事に“モーターショーの華”とか言ってコンパニオンの写真を載せてきた前科がある。

 産経新聞は特にそうだが、やたら“美人過ぎる○○”を見出しにした記事を載せ続けてもきた。
 
 要するに彼らは、「女を武器にした=女を見世物にした=女を食い物にした」記事を――

 F1に「現代の社会規範に反する」と断罪されてしまった記事を、日々量産してきたことになる。

 いや、もっと言えば、「やたら可愛い(女性性を強調した)服を着て可愛く歌う女性アイドル」なんてのも、充分に「現代の社会規範に反する」存在とされそうである。

 日本の新聞社も出版社もテレビ局も、その他ほとんど全てのメディアも、女性蔑視の片棒担ぎをずっとやってきたことになる。


 はたして今回の“F1レースクイーン廃止事件”後も、何事もなかったように日本のメディアではその傾向が続くのか……

 これは興味のあるところだが、少なくとも新聞社でモーターショーのコンパニオン写真記事を書いている人は、今回のニュースを訊いて苦笑いくらいはしたと思う。

 しかし思うに日本の自動車メーカーは、今回の報道を受けてモーターショーでのコンパニオン廃止を本気で検討するのではないだろうか。

 日本企業が率先して“美人資本主義”に決別することはなく(できず)、レースクイーンやコンパニオンの廃止なんて決して世界に先んじてはできなかっただろうが……

 外国がそんなことをしたと聞けば、たちまちそれに倣おうとするのが日本企業の慣例だからである。