開幕した平昌(ピョンチャン)オリンピックに限った話ではないが――
日本のメディアやネット民にとってそれは、「美人オリンピック」でもある。
これは2月11日(日)午前3時頃の、あるスポーツ専門サイトのアクセスランキング。
エストニアの旗手が美人すぎると騒然「激美人」「金メダル」「雪の女王感すごい」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト
この「THE ANSWER」というサイトは、“スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト”を名乗っている。
もちろんスポーツにとても興味のある人が見るサイトである。
しかしそれでも、上位10記事の中に「美人」「美女」記事が3つもランクインする――
ことほど左様に、「美人」という文字には人にクリックさせる力がある。
それはもう一般新聞社でさえも、そのサイトには「美人」という文字を入れたがるわけである。
エロ雑誌でもない週刊誌や、バイクやパソコンの雑誌でも、美人を表紙に使いたがるわけである。
そしてもうずいぶん前から、アスリートでさえも美人でなければ(特にその後の人生が)立ちゆかなくなっているような感じを受ける。
少なくとも美人アスリートに比べれば、そうでない女性アスリートは取り上げられ方が少ないのである。
しかし、それも当然のこと――
そりゃ、メディアは美人を取り上げたいに決まっている。
やや弁護するようなことを言えば、美人でないと取り上げにくいのである。
それと言うのも、世間はやっぱり美人を好み(賛美し)、ブスはバカにするからだ。
F1でグリッドガール(レースクイーン)が廃止されようとも、まだ今のところ……
日本の「美人資本主義」は大多数の人民に支持され、民主主義的に堅牢なままでいる。
本当は女性団体は、こういう「美女ギャラリー」とか「美人賛美記事」こそ糾弾しなくてはならない。
だって、「女を顔でランク付けする」「女を顔で賛美したりしなかったりする」というのは、女性をそういうものとして扱っていることに他ならないではないか。
“厳選美女”に入らなかった女性たち、女性アスリートたちの心は、気遣わなくていいのだろうか。
なぜ彼女たちが入場行進しても、ネットは「騒然」とならないのか。
その人民の態度は、矯正すべき態度ではないか。
また、どうしてスポーツ専門サイトは“厳選美男”選手の特集記事を書かないのか。書くべきではないか……
もちろん大部分の男女は、「そんなの言っても仕方ないこと」と感じるだろう。
男性のほとんどは(たとえ極左の共産主義者だろうと)美人資本主義の支持者であり、
女性のほとんども、世の中はそういうものだと受け入れて(諦めて)もいるだろう。
日本は昔から、「女ならでは夜も明けぬ国」とか言われてきた。
神話での皇室の祖先・天照大神(あまてらすおおみかみ)は女だし、
あの卑弥呼もまた、日本のあけぼの時代の女王である。
しかし女は女でも、実はその女とは「美女」のことだとみんな知っている。
「日本は、美人ならでは夜も明けぬ国」というのが、今の日本の最も正確な描写である。
美人はクリック数を稼ぎ、人にカネを落とさせる。
日本の経済のかなりの部分が、いまや「美人資本主義経済」で回っている。
美人であるということは、女性にとって最も強力な価値ある資本となっている。
そうでなければ、何をしようとも世の中からバカにされるのが資本主義社会の――
実力主義の優勝劣敗社会の、厳しい現実なのである。