プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「女は土俵に上がるな」-大相撲のオワコン化と「女子大相撲」を否定する国民の女性差別心

 4月4日の大相撲舞鶴巡業で、土俵上で挨拶していた舞鶴市長の多々見良三(67歳)氏がくも膜下出血で倒れ、その救助のため土俵上に上がった女性らに対し、「女性は土俵から下りてください」とのアナウンスがされた。

 しかも女性がその場から下りた後、土俵上には大量の塩が撒かれたそうだ。

 これにはもちろん世間から大批判が集中した。

 そして4月6日の宝塚巡業では、女性の宝塚市長・中川智子氏が「土俵の下に設けられた演台」から挨拶し――

 その中で「女性だからという理由で土俵上から挨拶できないのは悔しい。こういうのは変えていかなければならない」と訴えた。

 

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 大相撲の土俵上が女人禁制だというのは有名な話だが、その理由には2つある。

 一つは日本でよくある「女は穢れてるから」というもので、これは非常にわかりやすい。

 もう一つは「土俵の神は実は女だから、同じ女が上がると嫉妬する」というもので、これもまた日本の古層に非常によく分布する話である。

(山に入るときは女に関するものを持って行ってはいけないとか、

 安芸の宮島の神は女なのでカップルで行ってはいけないとか、

 本当にこういう話はよくある。

 「女の敵は女」を地で行くような話だ……)


 しかし理由はどうであれ、こんなニュースを聞いた人のほとんどは「やっぱりそんな仕きたり(伝統)はおかしい」と反射的に感じただろう。

 日本相撲協会にとっては、こともあろうに土俵上で倒れた舞鶴市長を恨んでも恨みきれないはずだ。

 みんな知ってるはずの「女人禁制」が、まぁよくもこんな形で露出してしまったものである。


 ところで私は、相撲に限らずこの手の女人禁制はバカげたものだと思っている。

 女が穢れているというなら、男もみんな穢れている。

(どうせみんな、チンコ扱いてオナニーしてきたでしょう?)


 神様が女だから人間の女に嫉妬するとかいうのは噴飯物で、そんな女神は神と言うより妖怪である。

 微笑ましいというかケツの穴が小さいというか……

 こんな神に手を合わせるより一神教の神を崇める方がまだ正常だ、とキリスト教イスラム教の人たちにここぞとばかりツッコまれそうな話ではないか?


 よしんば本当に男より女の方が穢れているとしても、そうせ男に生まれるか女に生まれるかはただの偶然である。

 女というものが好きか嫌いかはまた別問題として、「劣ってるからバカにする」なんてことが、まともなアタマを持つ人間によくもできるものだとむしろ不思議に思えるのだが……


 さて、それはそれとして――

 日本大相撲協会は「貴乃花親方の乱」冷めやらぬ中、またも思わぬ非難の渦に巻き込まれたものだ。

 とはいえ誰も、まさか大相撲というもの自体がなくなってしまうなどとは思わないだろう。

 しかし私は長い目で見れば、大相撲の消滅も充分あり得ると思っている。

 はっきり言って今の日本の主要スポーツの中で、最も滅亡しやすいのが大相撲だと思っている。


 大相撲はもちろん、日本固有の「スポーツ興行」である。

(言うまでもないが、大相撲はプロスポーツであり日本相撲協会は興行団体である。)

 しかし日本の相撲が世界に知られてから何十年も経ってなお、それは全く世界各国に伝播する気配がない。

 この点は将棋も囲碁も一緒だが、「日本だけのローカル競技」の未来は、極めて厳しいものがある。

 このままいけば日本の人口は減っていく一方なのだから、大相撲も将棋も囲碁も市場規模は縮小する一方である。

 それでいて海外への普及はほぼ望めないのだから、これは全く「オワコン」と決めつけられても仕方ない。

 今はまだ信じられないかもしれないが、そう考えるとプロレスなどの未来の方がはるかに明るいように思える。 
 

 もう一つ大相撲には重大な足枷ないし欠点があって――

 それは「プロスポーツの中で唯一、男子しかやらない(やれない)ジャンル」であるということだ。

 

 私は思うのだが、今回の一連のニュースについて、


●「救命のためであっても、女性に土俵から下りろ」ということについて批判する人は9割以上、

●「女性市長が土俵上から挨拶できない」ということについて批判する人は、それよりは比率が下がって6割以上、


 ぐらいかと想像する。しかし、


●「女子力士が大相撲に参入する」「大相撲に女子部門を創設する」


 ことに賛成する人なんて、ゼロに違いないと思うのである。

 そう、今回の件について「女性差別だ」と怒りを覚える人もひっくるめて、全ての日本人が――

 「大相撲に女子部門を創る」ことについては、「バカげてる」「冗談言うな」「いや、おかしいだろ」と普通に反応するに違いない確信がある。

(他ならぬあなたは、こんな提案を聞いてどう思いますか?)


 これもまた言うまでもないのだが――

 プロレスも総合格闘技も、その他全てのスポーツというプロスポーツで、「男女ともにやってない/やれない」ものなんてない。

(女性騎手も女性レーサーも、当然いる。)

 しかし日本でただ一つ、大相撲のみは例外である。

 「大相撲女子部」が決してできないのは、日本相撲協会女性差別的だからというのではなく……

 まさにこの、日本人全員(女性もだ)の持っている女性差別の “良識” に根ざすものだと言える。


 なぜ、女子大相撲はバカげていると感じるのか。

 なぜ、そんなことは大相撲を「穢す」ことだと感じるのか。

 なぜ、そんなことはギャグだと感じるのか。


 それは土俵上に女性を上がらせず、上がったら塩を撒き、女性市長にも土俵下から挨拶させる日本相撲協会と、同列またはそれ以下の差別心の発露ではないか。

 これがいったい、「男女の固定的な性の役割意識」でなくて何なのか。

 本当に日本国民は(あなたは)なぜ、心から女性差別に反対していながら、大相撲に女性力士を上げることには間違いなく反発心を覚えるのだろうか?