プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

坂口憲二、難病で芸能活動無期限停止-坂口征二・坂口征夫は「格闘家」なのか?

 あのビッグ・サカこと坂口征二の次男である坂口憲二が、国指定の難病である「特発性大腿骨頭壊死症(とくはつせいだいたいこっとうえししょう)」であると公表、所属事務所のケイダッシュを退社し芸能活動を無期限停止するとも発表した。

www.oricon.co.jp

 

www.nikkansports.com


 かつてプロレスのリングにも登場しドロップキックを放ったこともある彼だが、国が指定するほどの難病に罹っていたのだ。

 これが回復の見込みのある病気なのか私にはわからないが、とにかく回復することを願う。

 
 ところで上記ORICON NEWSの記事では、坂口征二は「格闘家」となっている。

 日刊スポーツでは兄の坂口征夫は「総合格闘家」である。

 しかしプロレスファンにとっては当たり前のことだが、坂口征二は間違いなく「プロレスラー」である。

 なるほどプロレスラーになる前は柔道家だったが、それは「柔道出身の(柔道がバックボーンの)」プロレスラーと言うことであり、まかり間違っても坂口征二を格闘家と呼ぶ/認識しているプロレスファンはいないだろう。

 兄の坂口征夫にしても、これもまた紛れもないプロレスラーである。

 確かにかつては総合格闘技もやっていたが、今はもう専業プロレスラーであり、彼を総合格闘家と認識しているプロレスファン・総合格闘技ファンはほぼいないはずだ。

(それどころか「ああ、あのユキオ・サンローランの人」と真っ先に思いつく人だって多いだろう。)


 もちろんメディアによっては「父の坂口征二は元プロレスラー」「兄の坂口征夫はプロレスラー」と “正しく” 表記しているものもあるのだが――

 これだけ「格闘技」と「プロレス」が明確に分かれたはずの21世紀にもなって、まだ格闘家とか総合格闘家とか書くメディアがあるのには、二つの理由があると思われる。

 

 一つは、「プロレスは格闘技の一種」と思っている人/そういうもんだろうと思っている人/それでいいんじゃないのと思っている人が、プロレス界・格闘技界の外にはまだまだ多いのだということである。

 笑い話のようだが、ちょっと前には「K-1とはプロレスのこと」だと思っている女の子が実在した、という記事も読んだ憶えがある。

 
 そしてもう一つは、「坂口憲二の身内がプロレスラーだと書くのは、彼の品位を落とすことになる」と、記事の書き手が考えている可能性である。
 
 「プロレスなんて八百長をやっている人が父だの兄だの書くのは、坂口憲二にとって良くない。イメージを損なう」――

 要するにプロレスとは恥ずべきものだ、と認識されている可能性である。

 もしかしてこの可能性は、それほど低くないのではあるまいか。

 まさかとは思うが、アントニオ猪木が死去した際に「元格闘家」と書かれる可能性だって、絶無とは言えないだろう。

 
 いずれの理由にしても、プロレスは依然として市民権を得ていないようである。

 坂口征二が格闘家だなどと書くのは、プロレスを知っている人にとって異次元のようなあり得ざることである。

 しかししかし、OROCON NEWSというエンタメ全般を扱う「世間」のメディアの中では、その異次元が普通に出現してしまう。

 このぶんだと船木誠勝が死去した際にも、(もし彼の死が一般メディアに載るとして)きっと「元格闘家」と書かれてしまうのは驚くに当たらないのだろう……