プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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木村花ネット中傷で自死-「悪役は罵倒していい」ウソみたいな時代が到来

 女子プロレス界の若きホープ、そして恋愛リアリティー番組「テラスハウス」にも出演していた女子レスラー・木村花(22歳)が、5月23日に死去した。

 死因はまだ公表されていないが、間違いなく自殺である。

 その要因は、「ネット上(SNS上)で誹謗中傷されていたこと」でほぼ確実だろう。

tairanaritoshi.blog.fc2.com


 この報を受けて元クラッシュギャルズ長与千種は、

●観たままの姿は基本キャラクターとしての偽りの姿。本当の姿を出さずに生きる彼女はプロとして。長与千種の知る本来の持つ顔は清純なのに

●悪役を演じただけ。本当の彼女は礼儀も優しさも兼ね備えた後輩でプロレスラーだったから

 と、怒りのツイートをしている。


 木村花(と、その母親で元プロレスラーの木村響子)がSNSで誹謗中傷を受けていたというのは、

 どうも恋愛リアリティー番組「テラスハウス」で「悪役を演じた」ことがキッカケになっているようだ。

 私はこのテラスハウスという番組、全く見たことがない。(そもそも恋愛リアリティー番組というものに興味がない)

 よって報道だけを元にして書くが、木村花がテラスハウスに「入居」したのは昨年9月。

 今年3月31日配信の第38話では、

●木村花が「命と同じぐらい大事」といい、10万円以上するリングコスチュームが残っていた洗濯機を、男子メンバーが誤って回してしまい、縮んで変色して着られなくなる“コスチューム事件”が発生。

●番組終盤、木村花がこの男子メンバーを叱責したが、この時の木村花の怒り方などに対して、SNS上で誹謗中傷や罵詈雑言があった。

 ということらしい。


 さて、言うも愚かなことだが、「リアリティ-番組」「リアリティ-ショー」とは、何も演出を加えていない本物の映像のことではない。

 もちろん台本があり、演出があり、出演者は役を演じているだけである。

 この世にそんなこともわからない低能が、そんなにいるとも思えない。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 だがしかし現実に、「木村花の怒り方」などに対して、SNSで誹謗中傷が浴びせられたというのだ。

 もし本当に「木村花の演技」に本気で反感・嫌悪感を持ち、誹謗中傷を浴びせるということが真に起こったとなると――

 それは、ドラマ界・創作界にとって、とてつもなく恐ろしい意味を持っていると言わざるを得ない。


 まず一つ目に、「この世にはそれほどの低能が現実におり、SNSを使っている」という恐ろしさである。

 かつてプロレス界では、悪役(ヒール)が現実に憎まれたことがあった。

 アントニオ猪木に「卑劣なやり方で」抗争したラッシャー木村が自宅に生卵などを投げ込まれ、飼っていたペットが脱毛症になった話は有名である。

 ダンプ松本極悪同盟のメンバーが、女子ファンに本気で憎まれていたと伝えられるのも有名である。

 が、もちろんプロレス界は、とっくの昔にそういうのから卒業した。

 今でもプロレス界にはヒールがいるが、だからといってそれを理由に彼・彼女のSNSに罵倒を書き込むなどという低能バカは、いくらなんでもほぼいない。

(書き込むとするなら、ヒールだという以外の何らかの理由によってだろう。)


 ところがどっこい2020年の一般世間は、なんと大昔のプロレス界に逆戻りしたかのようにさえ思える状況だ。

 罵詈雑言が書き込まれるのは木村花のSNSに限らず、周知のとおり、ちょっと有名な人のSNSでさえそういう目に遭っている。

 メディアが何かと言えば「共感の嵐」だの「絶賛の嵐」だのヒョイヒョイ書くようになったあげく、世間はこのザマになってしまった。

 要するに「共感は素晴らしい」とする風潮が、付和雷同的な「叩き」の構造を作り上げてしまったのだ。

 そしてまた、「ご不快な思いをさせて申し訳ございません」と言い添えるのが正義で礼儀だとする「道徳」が、

 「不快感を覚えさせるようなヤツは、(たとえそれが演技であっても)叩いて当然なのだ」と、

 世の低能バカに思わせるようになってしまったのだ。


 そう、これがもう一つの恐ろしさ――

 つまりもうこれからは、ドラマでさえも「悪役を演じる」ことには巨大なリスクが伴いかねない、ということである。

 これは、ドラマ制作や番組制作にとてつもない困難が追加される、ということに他ならない。

 具体的に言えば、これからはもう「悪女」役や「狂気を感じさせる怒り」の演技を務めたりオファーすることは、

 「SNS上でその人が猛攻撃される」

 というリスクなしでは考えられない、ということになる。

 そういう役を割り振るからには、相応のリスク料が必要になるだろう。

 昔の人には、「水戸黄門の悪代官・悪商人の役をする俳優が、リアルな世界で罵詈雑言を浴びる」なんてことは、バカバカしいの一言であったろう。

 そこまで現実と虚構(創作物)の区別が付かないバカがいるなんて、それこそバカげた考えだったことだろう。
 
 だが、現代は違うのである。

 それほどのバカが、確かにいるのである。


 我々はもう、ド迫力で、あまりに真に迫っているため本気で怖くなってしまいそうな――そして憎んでしまいそうな――悪役を、映像創作物の世界で見ることはなくなってしまうのかもしれない。

 そういう悪役は一部のバカを不快にさせ、叩いて当然と思わせ、SNSに罵詈雑言を書き込ませる恐れがあるからである。

 だから全ての悪役が、ちょっとドジなところもあり、いかにも「共感」されそうなキャラばかりになってしまうのかもしれない。

 創作物を殺すのは国でも権力者でもなく、そこらの庶民の中のバカが殺す――

 それが真実ではなかろうか。

 
 2020年の「木村花事件」は、そういう大問題を、社会全体に突きつけていると思うのである。