9月3日、週刊少年ジャンプにおける『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(こち亀)の連載が終了することが発表された。
9月17日発売のジャンプ第42号で最終回となり、同日発売のコミックス第200巻が最終巻になるという。
まさに衝撃・電撃発表であるが、もちろん作者の秋本治 氏とジャンプ編集部との間では、前々からこういう話になっていたのだろう。
しかしまず思うのは、発表するのは当然として、発表から最終回までがこんなに短いのかという感想である。
40年も続いた連載も、終わるときはまるで打ち切りのようにして終わるものなのだろうか。
近年のプロレス界を見慣れた目には、「終了します」(選手が引退します、団体が解散します)と発表してから数ヶ月から1年くらいは間があるのが常識である。
同じ終わるなら、「引退ロード」「最終ロード」とした方が注目も集められるしカネも集まる。
できるなら、ジャンプ編集部としてもそうしたかったのではないかと思う。
しかし秋本氏は、そしてジャンプ編集部も、そうしなかった。これはやはり美学の一種なのだろう。
それにしても、1976年(昭和51年)から一度も休まず週刊誌に漫画連載してきたというのは、本当に驚異的である。
アイデアが浮かんでくること自体もそうだが、文章と違い、さらにそれを絵にしなくてはならない――
こんなのを何人もの漫画家が実行していることに(日本にはいったい何種の週刊漫画誌が存在するだろう?)、私は昔から驚異の念を覚えてきたが、それが40年となると真に超人の域に達していると思う。
たとえ最近は本人が絵を描くことはあまりなくスタッフがやっているにしても、むろん責任者は作者である。
何人ものスタッフを統率して毎週1本の作品を創ることは、むしろ一人でやるより力量がいるのかもしれない。
(その方が気楽だ/そうしないではいられない、という漫画家もきっと多い。)
いま60代までの日本人男性の中で、『こち亀』を読んだことのない人/聞いたこともない人というのは、ほとんど全くいないだろう。
『ゲゲゲの鬼太郎』『サザエさん』『ドラゴンボール』などと並ぶ国民的高知名度の漫画なのだが、日本国内での「実働読者数」はそれらよりずっと多かったのではないかと思う。
(ドラゴンボールのように海外でも知られている、というわけにはいかないのは、漫画の性質上仕方ない。)
これはテレビ番組でもそうなのだが、かつては「みんなの見ているコンテンツ」というのがあった。
歌番組もクイズ番組もバラエティも、老若男女が同じコンテンツを見ていて、誰でもそのことを知っているというのが、昭和の時代だったのである。
しかし平成も二十年代後半の現在――
どんな人気コンテンツでも、「誰でも知っている」というわけにはいかなくなった。
漫画の『ベルセルク』『進撃の巨人』を、名前だけは知っているが見たことはないし見ることもないだろうという人は、ゴマンといる。
人の興味は細分化し、誰もが同じコンテンツを見るという時代は過ぎ去った。
しかしそういう時代に生きていた人(いまの40歳くらいから上の人)にとってみれば、そういう時代が時に懐かしく美しく思えることもあろう。
しかもそれは、自分が生きていたごく近過去に実際に存在した時代なのである。
思えば昭和の終わりと平成の始まり(1989年)は、日本人全体のライフスタイル及び社会の雰囲気が断絶/転変する時期にちょうど当たった。
そのあたりから日本は、もはや美空ひばりのような「国民誰もが知っていて、聞いている」歌手が出てこない時代に入ったのである。
そしてまた『こち亀』の終わりによって、「誰もが読んでいる漫画」もなくなることになった。
残る長寿作品には『ゴルゴ13』があるが、こちらの方は実際に読んでいる読者数において、こち亀よりはずっと少ない。
(しかし、同じキャラが何十年も狙撃し続けているというのはやはり驚異的なことである。)
ちなみにこち亀には、しばしば「ホロリ」とする話がある。(大原部長の娘の結婚の話とかである。)
また、「ニヤリ」とする話もある。(ある土地がいろんな店になっていったあげく、最終的には駐車場になった話とかである。)
そして、言葉で大笑いする話もある。(「わしは天国から来た」という神様に向かい、両さんが「来たというよりもうすぐ行く方じゃないの?」と返し、神様が「聞きしに勝る悪態だこの男!」と汗を流すシーンである。)
“大事なことはみんな幼稚園で学んだ”という本が出て以来よく使われるようになったフレーズで言うと、
“大事なことはみんなこち亀が教えてくれた”そして“こち亀を読んで育った”と感じる男性も少なくないと思われる。
こち亀の終了によりまた一つ昭和が終わり、日本人はまた一つ“それとともに育ってきた”という共通点を失うことになる。
格差社会ウンヌンは置くとしても、これからの子どもたちがますます共通点の少ない人生をそれぞれ歩んでいくことは、もはや止めようもない趨勢である。
しかし、ともあれ秋本先生、お疲れ様でした、ありがとうございました。