プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

カープの鉄人・衣笠祥雄氏死去-一流「野球レスラー」の早すぎる死

 4月24日、元広島東洋カープの選手で「鉄人」と称された衣笠祥雄 氏が死去したとカープが発表した。享年71歳。

 70歳と言えば、「まだ若い」と思われる時代である。

 そしてこの人が死ぬなんてこと、正直私はイメージしていなかった。残念である。

www.yomiuri.co.jp

 

rocketnews24.com

 

www.huffingtonpost.jp

 

www.sponichi.co.jp


 さて衣笠と言えば、何と言っても「球史に残る連続試合出場記録保持者」のタイトルである。

 連続出場2215試合・17年間は世界2位、日本1位の記録だ。(世界1位はアメリカはオリオールズカル・リプケンが保持)

 そしてプロ野球界では王貞治に次ぐ、2人目の国民栄誉賞受賞者でもある。

 別に広島ファンでなくても、衣笠の名を知らない人は日本にあまりいないだろう。 

 今が広島カープの第2次黄金時代とするなら、かつての第1次黄金時代を築いた立役者の一人である。

(今から見れば信じられないようなことだが、その第1次と第2次の間及び第1次の前は、カープはどうにもならない弱小球団と見なされていた。

 それは、つい最近までそうだったのだ。)


 山本浩二北別府学衣笠祥雄

 この3人の名は、今でも野球ファン以外の人の記憶にもよく残っているはずだ。


 ところで上記引用記事などを読むと、衣笠祥雄という人が「野球界の一流レスラー」だったという感を強くする。

 17年間もプロ野球選手でいて、ケガで欠場もせずに2215試合も連続で試合に出たのである。

 なるほど確かに彼の現役時代は、「記録を達成させるために温情で出場させてるんじゃないのか」なんて声も聞いたことがあった。

(衣笠本人への気遣いの他に、もちろんファンの反応を気にするという面もあったろう。

 何と言ってもプロ野球も「プロ野球興行」であり、客を呼ばなければならない。)


 しかしそれにしても、これは尋常な記録ではない。さすがにどうしようもない使えない選手を、温情だけで出し続けるわけにもいかないのだ。

 なおプロレス界で言えば、あのジャイアント馬場が1981年1月18日に「ジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合」を行っている。

 1999年1月31日に現役のまま死去したとき、その出場試合数は5759試合に達していた。

 野球とプロレスを一緒にするなと言われそうだが、衣笠の記録は馬場と拮抗するか上回っていると言ってもいいだろう。

(もちろん世間の評価においては天と地の差がある。

 馬場や猪木などプロレスラーに国民栄誉賞が与えられることは今後ともないと思われる。)


 衣笠は、いわゆるイケメンではない。

 ハンサムとはとても言えず、何というか「昔ながらのオジサンの顔立ち」と呼ぶのがふさわしい顔である。

 昔からプロレスラーさえも「顔がイケメンじゃなきゃトップに立てない、プッシュしてもらえない」と言われているのに――

(元Uインターの安生洋二などが、インタビューでたびたびそんなことを言っている。)

 
 そうでない衣笠がプロ野球選手の中で最高に近い地位に到達したのは、やはり野球とプロレスの違いというものだろうか……

(もう一つの違いとして、プロレスラーは何人も政治家になっているが、なぜか野球選手はそうなっていないという点がある。)


 それにしても

「酒の席を決まって抜け出し、どうしても素振りの練習をする」

 とか、

「スランプに陥ったとき、本に救いを求める」

 とか言うのは、現代のプロレスラーが拳々服膺して聞くべき話かもしれない。

 練習の虫と言われるプロレスラーは多くいるが、スランプだから本を読もうというレスラーの話というのは、あまり聞かない。

 これは衣笠が決してスポーツ馬鹿の類いではなく、知性と精神性を持ち合わせていた証のように思える。

 そしてもちろん、衣笠が「天才」ではなく「努力の人」、「深い苦悩を経験した人」でもあった証でもある。

 もしかしたら衣笠祥雄は、プロレスラー以上にプロレスラーらしい人であったと言えるかもしれない。
 

 私も一応カープファンで、試合はほとんど見ないが(プロレスを見ようとしたらそんな時間がない)試合結果だけは見る方である。

 子どもの頃は、衣笠の活躍をテレビで見ていたこともある。

 本当に急で、寂しい訃報である……