プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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諸悪の根源?「昭和」と「儒教」(下)-非婚化・少子化は儒教のせいか

 昭和の次に現代日本で諸悪の根源とされているのは、儒教である。

 もっともこれは、比較的局所的な「諸悪」ではある。

 具体的には、現代日本およびそれをも下回る合計特殊出生率を記録中の、韓国・中国(シンガポールとかも?)――

 それらアジア諸国での非婚化・少子化が、儒教のせいにされているのだ。

 これももっと具体的に言うと、儒教に基づく家父長制」意識のせい、ということになろうか。

 すなわち東アジア諸国では、儒教のせいで家父長制意識が国民の中に根強く残り――

 それが(おそらくは女性が、そんな体制の中に入りたくないと思うから)特に婚姻数を低めているのだ、ということになる。


 さて、これは当たっているか。

 私としては、「はあ、儒教ですか、儒教のせいですか……」と思ってしまう。
 
 なるほど東アジア諸国では、世界の他の地域に比べて出生率が目立って低い。

 ここに共通の「東アジアファクター」があるのではないか、とは誰でも考え付く。

 そして確かに、そこには儒教の伝統という共通基盤がある――というのは、言えるのかもしれない。

 
 だが、思うのである。

 これは、話が逆ではないか。

 儒教と「儒教に基づく」家父長制が根強いから非婚化・少子化になるのではなく、それが薄まっているから非婚化・少子化になるのではないか。

 よく言われる言い方になぞらえると、「若者の儒教離れ」こそ非婚化・少子化の原因と言った方がいいのではないか。

 少なくとも私には、儒教が原因で非婚化・少子化が進んでいるというよりは、個人主義が原因でそうなっているという方がはるかに説得力があると思う。 

 だいたい儒教的な道徳観では――俗流儒教的道徳観では――、家の存続が第一になるはずである。
 
 となると当然、男も女も何が何でも――たとえどんなに貧しかろうと、結婚・出産を目指すはずではなかろうか。

 しかし現今の若者意識では、全然そんなことはない。

 むしろ「結婚しない、したくない」人の割合が増え続けているのである。

 これはどう考えても、「若者の儒教離れ」と言うべきではないか。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 そしてまた、東アジアの未婚率をさらにはるかに下回る例として、「アメリカの中年黒人女性の未婚率は44%」という話がある。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 

 いくら何でもこの原因を、儒教に基づく家父長制に求めるのは無理というものだ(笑)

 
 しかし、思えば儒教というのは、だいたい1980年代あたりからヘイトの対象となってきたように思う。

 あれは孔子という男のルサンチマンの宗教(道徳律)だとか、

 しょせん孔子は職を求めてさまよい続け、やっとありついた政治職にあってもたいしたことはできなかった男だとか……

 これはキリスト教とキリストについてもそうであるが、

 イスラム教と開祖ムハンマドについてはなぜか誰も言わないような――むろん「怖い」から言わないのに決まっているが――ディスりや批判、「社会悪の根源」視を、今まで散々受け続けてきたのが儒教である。

 だから現在の儒教ヘイトも、その伝統の延長線上にあるとしか言いようがない。

 もし孔子が「現代東アジアの非婚化・少子化儒教のせい」と聞いたら、

 目をパチクリさせて「なんでそうなるんじゃ?」と言うだろう。

 そりゃそうだろう、こんなことを儒教のせいにするのは無理筋だろう、と私も思う。

 しかしもちろん人間には、もちろん現代人にも、もっともらしいスケープゴートや「わかりやすい悪の原因」が必要なのだ。

 そして儒教には19世紀以来、何かと言えば「東アジアの社会悪の原因だ」とされてきた伝統がある。

 これがまるで、キリストの受難劇であるかのように見えるのは、私だけだろうか……

 

 

諸悪の根源?「昭和」と「儒教」(上)-悪しきもの、汝の名は昭和なり

 2023年現在の日本で、諸悪の根源とされているものが2つある。

 「昭和」と「儒教」の2つである。

 まず、昭和から行こう。

 いまや「昭和」は、遅れた悪しき伝統や存在を指す代名詞となった。

 現代社会にアップデートできない人間は、「昭和脳」と呼ばれる。

 古臭いと思えば「昭和だね」「昭和かよ」と言う人も、そんなに珍しくはないだろう。

 昭和、平成を経て今は令和ということから考えると、二つ前の年号を指して「古臭い」の代名詞にするのは、さほどおかしくはないことなのかもしれない。

 しかし、では昭和時代に古臭いことを指して「明治だね」「明治かよ」と一般に言われていたかと言えば、そんなことはなかったろう。

 私は昭和後期の生まれであるが、どちらかと言えば古いもの・原始的なものを指すのに「昭和初期」という言葉が広く使われていたように思う。

(これは、私の周りだけかもしれない。)


 それにしても思うのだが――

 右翼団体の人とかは、こういう「昭和」への広範なディスりに対して何も思わないのだろうか。何もアクションを起こさないのだろうか。

 4月29日は昭和天皇の誕生日で、今は「昭和の日」とされている。

 日本史上でも稀にみる激動であった昭和時代に思いを馳せる、忘れない、という意味の祝日制定である。

 それが今や、指弾されバカにされるべき対象である。

 こんなことでいいのだろうか、と心配になってくるのは私だけだろうか。

 「世の中で不当に発言力が強い」とさんざん言われている高齢者の方々は、これについて何も言わないのだろうか。

 一人くらいはネット記事に「昭和ヘイトはもうやめよ」と書く人がいてもいいと思うのだが、なぜそんな人はいないのだろう。


 弱きもの、汝の名は女なり――

 という、現在ではもう死語というか死フレーズとなった言葉がある。

 しかしそれがなくなった代わり、今度は

「悪しきもの、汝の名は昭和なり」

 というフレーズが、人々の意識の中で一般化した。

 はたして50年後には、人々は「令和かよ」「令和だね」と古臭い人間のことをバカにしているだろうか。

 はたして「二つ前の年号をバカにする」のは、日本の新たな伝統になるだろうか。

 それともこれは、やはり昭和という時代が「江戸時代」全部に匹敵するがごとき強烈な時代だったことの、裏返しみたいなものなのだろうか……

 

 

落日の旭日-日本GDP、今年中にドイツに抜かれ4位陥落?

 かつて日本は、「世界第2の経済大国」と呼ばれていた。(1968年から)

 それが2010年に中国に抜かれて3位に陥落して久しい。

 そして今度は、今年2023年中にもドイツに抜かれて4位陥落する可能性があるという。

(⇒ 産経新聞 2023年1月22日記事:日本のGDP、今年にもドイツに抜かれ4位転落の恐れ)


 もっとも、このニュースを聞いても驚く人はそんなにいまい。

 これだけ毎日「日本の将来は暗い」論が流されている昨今である。

 いったいこの調子でいつまで世界第3位に留まれるものか、その報が飛び込んでくるのを「待っていた」人も多いはずだ。

 いや、まだ日本が第3位であることの方が、むしろヘンなのではないかと思っている人も多いだろう。

 たぶん日本人が「しょうがない」じゃなく本気で危機感を持つのは、「韓国に抜かれたとき」しかないのではないかと思われる(笑)

 

 ところで上記引用記事にはサラッと書いてあるが、

「(ドイツの)時間当たりの労働生産性は日本より6割大きく」

 だそうである。

 そんなこと知ってたよという人もいようが、これは恐るべき格差ではないか。

 太平洋戦争で日本が「生産力が何倍もある」アメリカに戦争を挑んだのは無謀の極みだ、とよく言われるが――

 この労働生産性の格差が本当なら、ドイツに経済競争で勝とうなんてこともまた、無謀の極みなのではないか。

 もっとも私は、この日本の衰退が危機的で破滅的なことだとはあまり思わない。

 このブログでも何度も書いてきたことだが、それはいわゆる「正常化」の過程だろうと思うからである。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 

 明治維新の1868年以来、日本はあまりにも調子が良すぎた。

 いわばボーナスステージにいたようなものだが、こういうことは世界史ではよくあった。

 むろんボーナスステージが終わることもよくあり、二度とそれは巡ってこない(だろう)ことも常態である。

 中国北部から中央アジアにかけての遊牧騎馬民族はかつて世界を揺るがしたが、そんな時代はもう来ないだろう。

 ポルトガルはかつて世界をリードする海上超大国だったが、もうヨーロッパ限定でさえ大国になることはないだろう。

 イタリア(昔のローマ)が地中海を制することももうなさそうだし、

 こんな例は枚挙にいとまがないほどだ。

 よって日本もボーナスステージが終わり、それこそ「普通の国」に帰る時が来たのだろう。

 歴史的に見て日本の常態とは、

「かなり貧しいが、東アジアでは有力な国。特に軍事的に」

 くらいのものではなかったか。

 栄枯盛衰は世の習いである。

 いつまでも日本がフィリピンやインドネシアより大国であるなどと、そんなことを思う方がおかしいのである。

 おそらく今後の日本にとって最も参考になる歴史は、スペインやポルトガルの「大航海時代以後」のそれだと考えられる。