7月26日、総務省の人口動態調査が公表され、2023年1月1日時点の日本の総人口(外国人を含む)は1億2541万6877人、
うち日本人は約80万1千人の減となり、その減少幅は1968年の調査開始以降最大、そして初めて全47都道府県でマイナスとなったことが明らかになった。
まさに日本の人口減少は、止まるところを知らないペースなのだが……
今回の記事では、日本の人口減少は「日本人にはまともな精神の人が多いからではないか?」という仮説を考えてみたい。
むろん人口減少は世界的な現象であり、あの他産・高出生率で知られていたアフリカ・アラブ諸国でさえ出生率・出生数は低下している。
東アジアだけでも、中国や韓国の低出生率・人口減少予測は日本をさらに凌ぐほどだ。
だからもしかしたら、「まともな精神の人が多いからこそ、人口減少と未婚率・非婚率の上昇が起きている」という仮説は、日本だけでなく(似た者同士の)中国・韓国にも当てはまるかもしれないことは、予め断っておく。
さて、「まともな精神」とはどういうことか。
私は、ずっと前から思っていたのだが――
「仕事が終わって疲れて家に帰ったら、もう家のこと(家の仕事)など何もしたくない」
というのは、極めてまともな感性・精神ではないだろうか。
あなたは、家に帰ってまで「仕事」したいだろうか。
これは、男性と女性とを問わない問いだが……
同居人の世話や子どもの世話、そこから派生する多種多様な仕事を、生業としての仕事にさらに上乗せしてやりたいなんて、その方がどうかしているのではないか。
いや、確かにそんなことをする人生を選んでいる人の方がまだ多いのかもしれないが、その人たちは「異常に元気」なのではないか。
何でそんな元気があるのか、バイタリティがあるのか、不思議に思っている人たちもまた多いのではないか。
家に帰ったときくらい、休日くらい、自分一人だけで自由に過ごしたいと思う――
これこそが正常な人間の――正常な現代人の――普通の感性なのではなかろうか。
だからこそ出生率は下がり続け、未婚率は上がり続け、そもそも結婚も恋愛もセックスすらも望まない人が増えていると考えるのは、的外れだろうか。
一言で言って、人口減少とは社会の正常化という見方があるのではないか。
前回記事では、広島県尾道市の妊婦に配っていたチラシが炎上したことについて書いた。
(⇒ 2023年7月25日記事:尾道市「先輩パパから妊婦へ」チラシ炎上-いらんことはするなかれ)
この事件に関するネットの書き込みには、いかに妊婦が大変かということについてのものが多い。
それは、まともな感性の女性であれば、絶対に妊婦なんてものになるまいと決意させるのに十分な内容である。
そしてまた、まともな感性の男性であれば、絶対に妊婦なんてものに関わるまいと決意させるのに十分な内容でもある。
妊婦はホルモンバランスが崩れて精神状態が不安定になる、それは仕方ないことだから受け入れなければならない……
そんな原因論で「フキハラ(不機嫌ハラスメント)」を甘受せよなんて、職場では絶対に通らない。(通っていいのか?)
女性にしたって、わざわざ自分からイライラしたり精神不安定になりたくはないだろう。
これもまた一言で言えば、結婚・出産・子育てなんてものは、そんな中に自分が踏み込んでいこうとは思わない「メンドくさい」ものとなっている。
いったいぜんたい昔の人は、よくそんなことをほとんど全員が経験してたものだ――
と、恐れにも似た感想を持たない人は、もうまともな感性の持ち主とは言えないのではあるまいか。
生業としての仕事の上に、まだそんな「メンドくさい仕事」「したくもない体験」をする。
そんなのはゴメンだというのは、誰がどう見ても当たり前の話ではないか。
そして現実に、そういうまっとうで当たり前の感性を持つ人が多いからこそ、恋愛・結婚・出産というのは避けられている――
こう考えることを、あなたはどう思われるだろう。
(⇒ 2023年6月1日記事:出産・子育ては「生き地獄のオワコン」、もう止めるべき論)
もはや現代では、わざわざ恋愛・結婚・出産したいという人は、突然変異的・変わり者的な存在と考えた方がいいのかもしれない。
そしてたぶんこれは自然選択・自然淘汰の一環であり、そんな突然変異的な「まともでない」個体こそが子孫を繋いでいくのだろう。
現代はまさに、人類の絶滅期と進化期の真っ只中にあるのだろう……