7月8日の昼前、奈良市の大和西大寺駅前で参院選の応援演説をしていた安倍晋三・元首相(67歳)が、背後から自作銃で撃たれた。
そして午後5時ごろ、出血多量で死去。
現役の首相ではないとはいえ現役の国会議員、かつキングメーカーとも呼ばれる影響力を保持していた政治家の、これまでの日本においては稀な暗殺死であった。
(白昼堂々の射殺を「暗殺」と呼ぶのは本当ではないのだろうが、しかしケネディ暗殺も暗殺と言われているので、現代の「暗殺」の語義は拡大している。)
その場で取り押さえられた犯人は41歳の男で、元海上自衛隊員とのこと。
しかし海上自衛隊であったのは2002年から2005年までの間であり、今回の事件とはあんまり関係ないように思う。
そして今のところ、その動機も
「安倍首相の政治信条にではなく、個人としての行いに不満があった」とか、
「その場にいるはずの宗教団体の幹部を狙った」とか、
どうも曖昧模糊としているようだ。
しかし、散弾銃を改造?した手製の銃で銃撃している以上、「誰かを銃撃する」という点ではかなり前から準備していたはずである。
もしかしたら、自宅からほど遠くない今回のような場所へ「大物」が来るのを待ち、「大物狩り」を狙っていたのかもしれない。
さて、私が暗殺というものに関心を持つ点は、思想的・心理的動機などよりは、実践面にある。
つまり、その人間がどうやって暗殺を実行したのか・しようとしたのかという、テクニカルな側面にである。
今回の事件は、暗殺者の側から見れば「成功」であった。
歴史上の暗殺の成功例が、また一つ加わったということだ。
なぜ成功したのかを考えることは、必ずしも無駄なことではないだろう。
今回の「成功」の要因を考え付くままに以下、書き出してみる。
(1) そもそも人は、ほぼ誰でも簡単に暗殺され得る
誰かを殺そうと固く決意すれば、ほぼ確実にその人を殺すことができる。
あなたも私も、心に固く決めてしまえば誰でも殺せる。
あなたも私も、誰かにそう思われてしまえば簡単に殺される。
あなたは普段、自分がどんなに無防備に暮らしているか、もちろん実感できるはずだ。
そもそも誰かが殺しに来るとは思っていないわけであるし、たとえ万一そんなことがあったとしても、生活の全部を警戒できるわけもない。
これは暗殺者側にとって、初めからものすごく有利な点だ。
ただそうは言っても、暗殺しにくい人というのは確かにいる。
それは警戒が厳重だというのではなく、ただ接触・接近そのものが難しい、マンション住まいの買い物にもたいして出歩かない大富豪みたいな人である。
そうでもなければ、固く決意しさえすれば、絶対に見張って隙を突くことはできるのだ。