プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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社員侮辱賞状(症状)事件-加速する労働忌避感情「働いたら負け」

 青森県八戸市の住宅会社が、自社社員に「症状」と題された賞状風の侮辱文を「新年会の余興」として手渡すのが慣例となっていた事件――その40代社員はパワハラで自殺した――は、改めてネット界のかつての名言を思い出させるものとなった。

 その名言とは、「働いたら負けかなと思ってる」というものだ。

(⇒ 朝日新聞 2022年6月25日記事:自殺社員への「侮辱賞状」、他の社員にも 社長「余興の域越え反省」)


 「働いたら負け」……という言葉は、かつては嘲笑の対象であった。

 「こんなこと言ってらぁ」という蔑みの対象であった。

 しかし時代が進むにつれ、それは真理であるのではないか、と変化しているのではないだろうか。

 今回のような「侮蔑賞状を渡すのが余興で慣例」というのは極端な例かもしれないが、これに似たことは(大企業・中小企業を問わず)日本中のあらゆる職場で起こっている、ということを知らない人はいない。

 知らない人がいるとすれば、それはニュースを見ていない人である。

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 実際あなたは、「働くって素晴らしい」「働くことは楽しい」なんて感じるニュースを、今まで見たことがあるだろうか。

 あるとすればそれは、各企業の公式サイトか(例によって)スゴい人を褒め称える系の御用記事・提灯記事くらいのものではないか。

 いまや日本の労働を伝えるニュースは、内ではパワハラ、外ではカスハラ(カスタマー・ハラスメント)、そして労働生産性の低さオンリーと言っても過言ではない。

 もちろん、悪い事件であるからこそ報道されているのだというバイアスは考慮すべきだが――

 しかし、日本人は世界で一番仕事を嫌々やっている、それどころか仕事を憎んでさえいる、と専らの評判なのは、こういう現状では何の不思議もないだろう。

 今の日本人の大多数にとって仕事とは、「もちろん」嫌なものである。

 それは単なる苦役であり、もしカネさえあればすぐにでも辞めたいという「仕方なくやっている」ものである。

 そりゃあみんながイキイキと仕事して、その結果経済がグングン発展するなんて、とても望めないことだろう。


 かつて日教組日本教職員組合)は、「教え子を戦場に送るな」をスローガンに掲げていた。

 しかしいまや、「教え子を職場に送るな」と訴えた方がいいような按配である。 

 働く場にはパワハラとカスハラが蔓延し、職場とは精神的に陰鬱な戦場であるからである。

 また、世のお父さんお母さん方も、息子や娘が就職したからと言って一安心している場合ではない。

 その息子や娘のかなりの部分が、パワハラとカスハラの戦場ないし地雷原地帯に送り込まれているということだからである。


 いま日本は、少なくとも「従来型の仕事に、普通に」就くことは、まさに「働いたら負け」になりかけている。

 もしパワハラやカスハラが全くないような職場があったとしても、例によって「給料は30年も上がってない」状態なのだ。

 ところでパワハラやカスハラがあるのは、何も「政治家が悪い」からではない。

 パワハラやカスハラをやっているのは間違いなく国民自身であり、いわゆる庶民である。

 これから日本人の労働意欲は(日本人自身の手によって)ますます低下し、労働忌避の雰囲気はますます広がっていくだろう。

 これはまさに、21世紀の国民病・日本病と言うべきではないか。

 そんな中で、これからの若い人はどうしていくべきか……

 それはやっぱり「従来型の仕事」に就かない道を模索する、ということになるのではないか。

 たとえば、可愛い「女の絵」を描く練習をするとかである。

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 そして今後は今以上に、「従来型の仕事」に就く人間は負け組であり、大した能力・才能のない人間だということになっていくだろう。

 これが社会の病気なのか進化なのか、堕落没落なのか変革なのか――

 その結果は、20年くらい先には確認できると思われる。