プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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名古屋市、小学校の部活全廃へ-「なんでもかんでもやるべき」が日本を滅ぼす

 名古屋市は、2020年度を最後に市内の全小学校の部活を全廃する方針を明らかにした。

 理由はむろん、「それがあまりに教師に負担だから」である。

www.chunichi.co.jp

 

www.huffingtonpost.jp


 私はこれ、素晴らしいことだと思う。

 やっとと言うか、ついにと言うか、「学校は勉強するところ」という大前提を食い荒らしてやまない部活というものが、ようやく現実に廃止され始めたのである。

 あえてケチを付けるとするなら、「市内の全小学校で部活をやる」なんてことを、40年以上も前から実施してきたという点だろうか。

 これがどれだけの教育損失を生んできたか、考えるだに空恐ろしい。

 しかし、過ちを改めるのに遅すぎることはなし、である。

 これで学校の先生たちの負担も軽くなり、やっと勉強を教えることに集中できるのが期待できる。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 しかしもちろん、こういうことに反対する人も多いだろう。

 いや、反対というより「反発」する人が多いだろう。

 名古屋市在住の父母でもない人がそう感じる理由は、主に2つあると思われる。


 一つは、「他人が楽になるのは許せない/けしからん」という“自然な”感情である。もしかしたら“日本人的な”感情である。

 むろんこんなのは偏執狂的な――狂人的な――感情であって、全く論ずるに足りない。

(しかし、非常に根深いことは否定できない。) 


 もう一つは、「仕事する以上、何でもかんでもやるべきだ」という“道徳観”である。

 いくら学校が勉強するところと言ったって、部活も非常に大事なことだ。だから学校の先生は文句言わずにやるべきだ――

 仕事している(させてもらっている)以上、何でもかんでもとにかく言われたことをやるのが人の道だ――

 こういう意識は、世の中で非常に広く強く広まっている。

(ただし、言うまでもないが、「自分以外の他人に対して」の話である。)


 思うに、こういう意識こそ日本を滅ぼす元凶である。

 こういうことをナチュラルに思う人は、「アウトソーシング」とか「分社化」とか「分業・集中の威力」なんて言葉を、まるで全然聞いたことがないかのようだ。

 こういう人がもし経営者であれば、その会社は衰退・破綻してしまうことはまず間違いない。

 もしこんな人が日本人の過半数を占めているのであれば、それはもう日本の衰退と国際競争での敗北は決まったようなものである。

 しかしそれなのに、

「ウチの社員は何でもこなせるオールマイティーな存在であるべきだ、それを目指すのが社員のあるべき姿だ」

 なんて思ったり言ったりしている人は、この世に掃いて捨てるほどいる。

 どうも、「なんでもかんでもやるべき」という観念(だか信念だかわからないが)は、よっぽど日本人にとって「正しき魅力」があるようである。


「部活も大事なことなんだから、学校の先生もそれについて努力すべきだ、労力を割くべきだ」と言っている人は、

「だから勉強を教える方は少しくらい劣ってもかまわない/やむを得ない」と思っているわけではなく、

「当然どっちも努力すべきだ、労力を割くべきだ」と思っている。

 これについて「虻蜂取らず」という言葉以外、かける必要があるだろうか。


 しかもそういう人たちは、部活だけでなく生活指導やイジメ防止など多種多様なことに「同じくらいの」労力をかけるべきだと思って憚らない。

 二兎を追う者さえ一兎を得ないというのに、こんなに追ったら一兎も得られないのはわかりきった話である。

 それなのに十兔を追うことが道徳だなどと思っているから、日本の労働生産性はあのギリシャやイタリアにさえ劣るのである。

tairanaritoshi.blog.fc2.com

 

 しかし日本人のいいところ(悪いところでもあるのだろうが……)は、「誰かが最初にやったら、安心して大勢が“これが時流だ”とばかり追随していく」という点である。

 今回の名古屋市の決定が呼び水になり、本当に部活廃止の輪が小学校から中学校へ、高校へと波及することも大いにあり得る。

 そうなれば、「学校では勉強が足りないから塾へ行くのが当然」などという、日本の倒錯した“常識・常態”も変化することになるだろう。