プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「日本のオジサンは世界一孤独」=「日本は孤独でも世界最先進国」-そもそも現代日本人男性はコミュニケーションが嫌いなのでは?

 日本の中高年男性は“先進国で最も孤独”で、それには深刻な健康リスクが伴っているそうである。

bunshun.jp


 さて、根本的に思うのは、じゃあ日本のオジサンたちは――

 いや、未来のオジサンたる若い男性も、はたして心の底では“繋がり”を求めているのだろうか、ということである。

 

 これは、話が全く逆ではないか。

 現代日本の男性は、むしろ孤独が進んで好きなのではないか。

 コミュニケーションというものを、むしろ厭っているのではないか。

 そんなのは仕事上でさんざん嫌になるほどやっているのだから、プライベートなときくらい孤独でいたいというのがホンネではないか?


 上記引用記事では、


(日本では)家族以外のネットワークやコミュニティ、ボランティアや地域活動への参加などといった社会や地域における人々の信頼関係や結びつきを表す「ソーシャル・キャピタル社会関係資本)」が極端に低いのだ。


 とある。

 じゃあそのソーシャル・キャピタルへ、日本人男性は(心の底では)積極的に参加したいと思っているかと言えば――

 全然そんなことはないはずである。

 
 そんな話とは全く逆に、日本人男性は(いや女性もだろう)地域活動なんてなるべく参加したくない、そんなことはメンドクサイと思っているのが本当ではないか。

 だからこそ若い人はイナカを離れ、都会に出て行きたがるのではないか。

(少なくとも、そういうことをする一因ではあるだろう。)


 地域の繋がりが強いということは、地域の行事やイベントなんかが頻繁にあり、かつほとんど強制参加だということである。

 まさに現代日本人は、そんなのが嫌なのではないか。

 そういう現代版 “ムラ社会” が嫌だからこそ、そういう繋がりのない都会で暮らしたいのではないか。

(これは中世ヨーロッパを指す歴史用語、“都市の空気は自由にする”の現代版である。)


 そしてまた上記引用記事では、


 話すこと自体を目的とし、地球が滅びるまで面と向かって営々と話し続けることができる女性と、コミュニケーションは目的を達成するための手段であり、スポーツやゲーム、お酒など、何らかの介在がないと話しづらい男性とでは、「コミュ力偏差値」に差が出やすい。 


 とも書いてある。

 しかし、これをあえて女性的に言えば――

 男性というものは “話すこと自体を目的とし、地球が滅びるまで面と向かって営々と話し続ける” ことなんて、「生理的に受け付けない」ものなのである。

 そういうコミュ力偏差値なんて、上げたいなどと心底思わないものなのである。

(話すこと自体を目的として話し続けるなんて、たぶん大多数の男性にとってはそれこそ拷問のような時間だろう……)


 そういえば日本は、少子高齢化の進展具合も世界一である。

 しかしこれを「日本は少子高齢化の最先進国で、いずれ世界が後を追うのだから、いずれ世界が日本を手本にするようになる」として、ポジティブに見る見方もある。

 だったら「日本は孤独の最先進国で、いずれ世界が後を追うのだから、いずれ世界が日本を手本にするようになる」という見方もできるはずである。


 さて、他ならぬあなた自身は、ソーシャルキャピタル薄弱な都会より、地域の繋がりが強い田舎に住みたいか。

 確かにそう思い、田舎へのUターンとかを実行する人もいるが、あなたはそういう人を「そういう(変わった)奴もいるよなぁ」なんて思ってないか。

 あなたは仕事の場を離れ、プライベートでも人付き合いをしたいか。

 今のプライベートの孤独な一人の時間を削り、人付き合いに割り振りたいか。

 そんなことしたら(何より大事な)「自分の時間」がなくなって、逆にストレスが溜まるとか思ってないか。


 その内心の答えが、日本の(もしかしたら世界の)未来への道を指し示すものである。 

 そしてたぶん多数決で行くと、日本の未来はますます孤独化するに決まっていると思われる……