新型コロナウイルスの蔓延は、いまだに終わらない。
これは21世紀の人類を見舞った最大の人命的・経済的惨事である。
今までそういうこととは幸いにも日本は縁がなかったのだが、ついにそういう幸福な時代は終わりを告げた。
しかしここでは「あえて」、今回のコロナ禍で「良かったこと」を挙げてみよう。
その良かったこととは、(誰でも思うはずだが)「不要不急のイベント・行事」の消滅である。
不要不急のイベント・行事、
不要不急の「顔出し目的の会議」(「出席することに意義がある会議」とも言う)。
これらは全てとは言わずとも、大部分が日本から自主的に消滅したはずだ。
そしてこれについて、日本全国津々浦々で、密かにホッとして嬉しがっている人たちが大量にいるはずである。
思うに我々は今回のことがあって改めて、
我々がいかに「不要不急のイベント・行事・会議」をやってきたことか、
を身に染みて感じたのではなかろうか。
そしてその筆頭が「オリンピック」である、と言っては言い過ぎだろうか。
これまで日本の労働道徳では、「直接会って、顔を合わせて説明する」というのが聖なる律法のように扱われてきた。
メールじゃダメだ、ネットじゃダメだ、直接に面と向かって話をしなくちゃダメなんだ――
そういうビジネスマナーという名の道徳は、あらゆる「労働道徳本」に書かれてきたものである。
しかし今や、直接に面と向かって至近距離で相手と接することこそが、リスクであり無神経となった。
「複数人が一つの部屋に集まる」こと自体が、危険極まるバカ行動と見なされるようになった。
さすがにこうなっては、既存の労働道徳は引っ込めざるを得ない。
おそらく、今まで毎年・毎月・毎期のようにやってきたイベント・行事は、今年いっぱいは中止になるのだろう。
この事態を「いっそこの際、ドサクサ紛れにやめてしまう」好機だ、と内心思っている人は、相当数に上るだろう。
そしてこの事態が来年にまで延びることになれば――仮にあと数ヶ月で終息宣言が出たとしても、むろん再発の危険はある――、本当にそうなってしまうだろう。
そのときこそ我々は、今までやってきた不要不急な物事をやっとやめることができ、真に実(み)のある物事に集中できるようになるかもしれない。
そうなれば、現時点ではクソミソに言われている日本の労働生産性も上がり、世界に伍していけるようになるのではないか。
この思わざる災厄で日本経済はガタガタになりそうなのだから――
せめて、それくらいの効果はあってほしいものである。