恥ずかしながら、冠婚葬祭業の最大手が「ベルコ」という企業だとは、私は知らなかった。
そのベルコ社について、今野晴貴氏が長文の力作記事を書いている。
ベルコ社は「実質」約7,000人の従業員を擁するのに、正社員はたったの35人しかいないらしい。
そのカラクリは、ベルコ社自身は従業員と雇用契約を結ばず、支社と支部がベルコ社と業務委託契約を結び、雇用契約を結んでいるのは支社・支部と従業員の間だけだからのようだ、
(なんだかベルコ社は「持株会社」であるかのようだ。)
だから、労働組合を結成しようとした従業員を「事実上」解雇しても不当労働行為には当たらない(ベルコ社と従業員の間に直接の労働契約はないから)、と札幌地裁は判決したとのこと。
私は労働関係の裁判というのは、「実質的な」指揮命令関係や雇用関係があるかどうかが争点になるものだとイメージしていたし、
(あくまで今野氏の記事を読む限りは)ベルコ社と当該従業員の間には「実質的な」それがある、と感じるのだが、裁判所がそう判断しなかったのはなぜなのかわからない。
ところで企業にとって、
●労働者と雇用関係に入ると、簡単にクビが切れなかったり労務管理のコストがかかったりしてイヤだ
●だから労働者とは直接に雇用契約を結びたくない
●よって「他の事業者」に労働者を雇わせて、その「他の事業者」と業務委託契約を結びたい
●そうすれば委託相手は「純粋な」商売相手なので、気に入らなければ契約を打ち切りやすくなる。それをちらつかせて言うことを聞かせられる
と考えるのは、まことに当然の成り行きである。
たぶんこういうことに憤りを覚える労働者も、いざ自分が経営者になれば、こういうことを思いつくし実行しもしたくなるのだろう。
「業務委託で直接の雇用関係を避けよう」というのは、こう言っては何だが、バカでも誰でも考えつく手段である。
そう思うとむしろベルコ社のような突き詰めたやり方に、全国の諸企業が舵を切っていないのは不思議なくらいだ。
だがもし、こういう業務委託方式を取っていれば本社本体は従業員と雇用関係を持たなくていい、労働組合結成を理由とする解雇さえできる、と高裁・最高裁でお墨付きが出れば――
もちろん全国の諸企業(ある程度の規模の企業)は、こういう方式に流れていくに決まっている。
そうなると今後の日本人の労働意識に、次の二つの流れが生じるものと思われる。
一つは、あらゆる企業や団体の「ブラック企業化」が進行し、日本人はますます「労働離れ」「働いたら負け」になっていく、というものである。
その結果、仕方ないから働くのは働くが、「やっぱ投資が本命」と意識するようになることも考えられる。
実際、個人投資は、こういうことを駆動力としてどんどん盛んになるかもしれない。
今でもほとんどの労働者は投資らしい投資をしてはいないはずだが、職場での労働がどうせブラックなら、そういう層も個人投資へ駆り立てることができそうではないか。
もう一つは、「それなりの規模の会社へ就職して働く」という従来の常識が、いよいよ終わるのではないかというものである。
前々からずっと言われてきたように、フリーランスやスモール企業が乱立してそれが当たり前になる社会――
雇用ではなく業務委託で結ばれる(そして切られる)社会が、とうとう世の常識であり当たり前である(だからみんな怒らない)ようになるのだろうか。
それはある意味、戦前の日本社会への回帰のような気もする。
戦前の日本では会社員というのは決して一般的なコースではなく、豆腐屋や履き物屋や米屋が街中に乱立していたと言うではないか。
「ほとんどの人がサラリーマンやOLになるのが普通」という社会は、ひょっとしたら異常で特異な時期だっただけかもしれない。
さすがに「みんなが自営業者」という風にはならないだろうが――
「零細スモール企業で仕事を請け負って働くのが当たり前」「個人投資してない人間がいるなんて信じられない」という社会は、意外にもうすぐ到来するのだろうか。