吉本興業のお笑い芸人である小籔千豊(こやぶ かずとよ)が、死にそうな末期患者を演じた厚生労働省「人生会議」啓発ポスターは――
そのデザインに猛批判を受け、全国自治体への配布は取りやめとなった。
これについて11月28日、参院厚生労働委員会で野党が批判と追及をしたところ、厚生労働省はそのポスター作成について吉本興業と委託契約した金額は4,070万円だと明かした。
委員会室には、どよめきが起こったという。
(⇒ 朝日新聞 2019年11月28日記事:小籔さん起用のポスター、「4070万円」にどよめき)
この「どよめきが起こった」というのは、国会議員の中にも健全な市民感覚が確かにあることを示しているのだろう。
普通の人間がこんな話を聞いて十中八九感じるのは、「こんなのに4070万円払うのか、儲けるのか」ということに違いないからだ。
私はこのポスター事件、今の日本社会について非常にたくさんのことを語っていると思う。
とても全部は書き切れないが、いくつか列挙しておこう。
1 吉本興業は、確かに「国策企業」「特権企業」になっているのではないか
吉本興業というお笑い芸人マネジメント会社が、今の安倍政権下で政治的・行政的にものすごく優遇されている――
という話は、ここ数年で(少なくともネット界では)すっかり定着したものとなっている。
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このポスターを作成するのに4070万円受け取るというのは、世間一般の労働者からすれば夢のような話である。
ラクなボロ儲けであり、ほとんど世の中を舐めたような話としか思えない……
そう感じない人が、いったい世間に何人いるのか疑わしい。
さすがにこんな話を聞けば誰でも、吉本興業というお笑い企業が(驚くべきこと、と言うべきかもしれないが)国家の中央省庁と癒着してんじゃねーか、と思うことは請け合いである。
2 「国のポスターに出てるタレントは、たかがこんなことで何百万円ももらってる」ことが国民に知られる影響
もし今回のポスター作成委託料が、国による吉本興業の優遇というものではなく、標準的な金額なのだとしよう。
もちろん4070万円が丸々小籔千豊という芸人個人の収入になる、と思うようなウブな人間はいない。
その大部分は吉本興業という会社の収入になるというのは、たとえ知らないでもわかりきったことである。
しかしそれでも100万円単位のカネは小籔千豊が受け取るんだろう、とも思うだろう。
ところで、国の機関がタレントなどの有名人を起用して作成するポスターというのは、毎年毎年星の数ほど・腐るほど多い。
その彼ら彼女に、ただポスターに映るだけで何百万円の収入が入ってくるのだ、
または彼ら彼女らが所属する会社なり事務所なりに、何千万円が税金から振り込まれるのだ、
と国民に知れ渡ったら、それは普通に悪影響のはずである。
これ、今でこそ国民はいちいち怒ったりしてはいないが――
今よりもっと国民間の所得格差が広がれば、いよいよ表に出てくる問題ではなかろうか。
3 国が無名人を使わないで有名人に高額報酬を支払ってポスターを作るのは、国民のせいである
これは誰でも思うことだが、なんで「人生会議」なんていうものを啓発するのに、わざわざ有名人に高いカネを払ってポスターの被写体になってもらうのだろう。
そんなことするより、そこらの素人さんを使ってポスターに映ってもらえばいいではないか?
そうすればはるかに安上がりに済むではないか?
しかしそんな簡単なことがそうならないのは、むしろ国民の方が悪いと言える。
つまり国民には、「有名人じゃないと刺さらない」からである。
あるいは、たとえ自分はそう思っていなくてもみんなはそう思っていると、みんなが思っているからである。
いちおう国の機関の名誉のために言っておくが、そのポスターの中には確かに無名人を登用したポスターがある。
しかし「やっぱり広く大勢にアピールするものを作りたい!」と願えば願うほど、当然のように有名人を登用しようという話に頭がなってしまうのだ。
だからきっと、有名人に大金を払うという方が予算も通りやすいのである――
予算を審査する人たちだって、当然のように有名人の方がはるかに世の中にアピールすると思っているからだ。
そしてその思いは、往々にして正しいのだろう。
有名人だと心が動く、目が惹かれる、しかし無名人だとバカにしさえする、話題にもならない……
国民がそんなだからこそ、そんなものだと思われても仕方ないのが現実の世の中だからこそ、「こんなポスター」に何千万円も国費をかけることになるのだ。
4 お笑い芸人は現代日本の「人間の手本」となり、「コミュ力重視社会」の元凶になった
いったい他の国で、こんな現象が起きているのかいないのか知らないが――
確かに日本では、お笑い芸人というものが「人間の手本、ロールモデル、あらまほしき人間像」になっている。
少なくとも、その一つにはなっている。
お笑い芸人を講師に招いて研修する会社というのは、いまや珍しくもなんともない。
はたしてアメリカやシンガポールやフランスなどでコメディアンを講師とした企業研修が行われているのかどうか、私は全く知識がない。
そういう研修で何を学ぶのかと言えば、おそらくは話術や機知といった「コミュニケーション能力」なのだろう。
この「コミュ力」というものを今の社会は重視しすぎる、という批判は、ちょくちょくネット上で見ることができる。
その元凶を名指しするとすれば、疑いなく「お笑い芸人」がその筆頭格である。
(しかし、そうハッキリ言う人は、ネット上にさえあまりいない。)
いまや日本人にとって人間の一番の「徳」とは、「喋りで人を笑わせることができる」ということになってはいまいか。
そういう通念ができてきたものだから、喋りが不得意な人たちが軽視されバカにされるようになったとしても、全く自然の成り行きと言うべきである。
今回の「小薮病人ポスター問題」、それだけで一冊の本が書けるほど、色んな事々が詰まっていると思う次第である。