5月1日、デジタル庁が業務改善のため実施した内部アンケートの結果がわかった。(公表してないのに、わかったらしい)
回答率は85%(約550人)という驚異的な高さであり、その内容は
「業務が多すぎる」
「風通しが悪い」
「やる気を失っている若手が非常に多い」
「職員がどれだけ日々つぶれているか、来なくなっているか幹部は把握しているのか」
等々という、惨憺たるものだったらしい。
(⇒ 共同通信 2022年5月1日記事:デジタル庁職員、職場に不満「激務」「風通し悪い」)
こういう話を聞くと我々は、「そら見ろやっぱり官庁だから、役所だから」と脊髄反射してしまいそうだ。
しかし反面、この日本自体が他国に比べ――経済規模が何十分の一の国に比べてさえ――、デジタル化・DX化が非常に遅れているというのは、もはや日本の常識ともなっている。
つまりたいていの民間企業だって、デジタル庁と五十歩百歩ではないかと推測される。
ところで私は、そもそも日本が・日本人自体が、デジタル化・DX化には向いてないんじゃないかと思うものである。
端的に言うと、日本人にとってデジタル化・DX化とは「反道徳化」「無礼化」なのではないか――
つまり道徳的に受け入れられないのではないかと思うのである。
その日本人の道徳とは、要約すれば次のようなものだ。
①「目上」の方には「紙」資料で、「御面前でご説明申し上げ」なければ無礼である。
②メールだけで用件を伝えるのは無礼で、必ず電話しなければならない。
いかがだろうか。当たっていないだろうか。
特に②などは、もうDXとか言う以前の話である。
しかし現実にこういう道徳が日本では普遍的なものだとは、たぶんみんな知っている(実感している)ことだろう。
ここでは書かないが、デジタル化・DX化の遅れだけでなく、ビジネス・経済の全般にわたる問題の根底には、この「道徳」というものがあると私は思う。
今の日本のほとんど全ての問題は、ただ一つ道徳問題に還元できるとさえ思う。
真面目にも皮肉にも聞こえるが、DX化の遅れや拒否は、日本の美しい「国体」「国柄」を守ることに繋がっていないだろうか。
たぶん今の日本は、かつての中国みたいなことになっているのだろう。
西洋からどんな先進技術が来ても「やっぱりこの国が一番(いい)」と思い、その中華思想を美しいものとして守りたいと自然に思ってしまうのだろう。
しかしそれも、仕方ないことなのかもしれない。
いずれどの大国も「老大国」になる運命にあるのだから、今は日本にその順番が回ってきたということなのだ。
だから今からの若い人は、ぜひとも英語または中国語をマスターして、日本の外に出て働けるよう勉学に励むべき時である。