子どもたち及び日本人全体の「国語力の低下」というのは、何十年も前からずっと言われていることである。
この調子だといったい日本人の国語力は、どれほど低下したものだろうかと思わずにはいられない。
そして現代は、また何度目かの「国語力低下ブーム」が起こっているのかもしれない。
(⇒ 集英社オンライン 2022年8月26日記事:教員の8割が感じている「子供の国語力低下」が引き起こす深刻な問題)
さて、国語力の低下を憂える人は(昔からずっと)多い。
しかしそれにしても不思議なのは、そういう人がなぜか誰も指摘しない「明白な原因」があることについてである。
その明白な原因とは、「長文は悪」の国民的常識である。
いまや長文は、ただ長いというだけで悪である。
ネット記事で全部読んでも10分くらいの文章でも、「ダラダラ長い」「長いので読んでませんが」とコメントの付かないものはほとんどない。
そして今の日本のビジネス界や仕事の面でも、必ず教え込まれるのが
「長文は絶対に駄目、短くまとめなければ」
という道徳観である。
とにかく、どうでもこうでも何が何でも、長い文章は駄目であって罪悪なのだ。
そういうことを、日本の大人たちは「社会人の常識」として教え込まれる。
そういう状態で「国語力の低下」が起きるのは、バカでもわかる当たり前のことではあるまいか。
よく「長い文章は読む気が失せる」と言われるが、それはつまり「長い文章を生理的に受け付けられなくなっている」ということである。
つまり実際のところ、「読まない」「読む気にならない」のではなく「読めない」のだ。
要するに「読めるけど自分の意志で、あえて読まない」のではなく、能力的に読めないのである。
10分で読める文章も「長すぎる」のであれば、小説なんかとてもとても読めるはずがない。
もちろんこれは、読書力の低下をもたらすに決まっている。
こんなことは書いていてもバカバカしいほど当たり前のことであるが、
しかし現実の世界ではとにかく長文は排撃し、短い文章とすることが推奨どころか道徳化されている。
それなのに「文章は短くしろ」と部下や後輩に言っているのと同じ人が、日本人の国語力・読書力の低下を危惧してるなんていうのは、狂気の沙汰と言っては言い過ぎだろうか。
そしてこの「長文排撃」の道徳は、日本社会の格差をさらに広げる効果も生んでいると思われる。
さすがにいくら何でも、弁護士などといった有資格者に「長文を読まない・本を読まない」でなれると思う人はいないだろう。
そして日本の上層階層は、人には「長文は駄目」と教えたり説教しておきながら、自分は長文の本を読んでいるのではないか。
自分の子どもには、長文の本を読ませているのではないか。
それは非常に高い割合で、高収入の仕事に就くという「遺伝」を生んでいはしまいか。
つまり、バカで下級な一般庶民は「長文は悪」の道徳に染まらせておいて、自分たちだけは長文を読んで上流の地位を確保するという構図である。
しかし本当に、「長文は悪」と本気で思っていながら、それでいて同時に「国語力の低下」を憂えることができるというのは、人間の心のバカバカしさと面白さを示す光景だろう。
だが一般庶民がそんなことしてる間に、上級国民らはわが子に本を読ませている。
これは、庶民による格差の自己拡大だと感じるのは誤解だろうか……