プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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鳥山明死去-「日本の画風」が世界に根付く

 3月8日、マンガ家の鳥山明が3月1日に死去していたことをドラゴンボール公式Xが発表した。享年68歳。

 1980年代に『Dr.スランプアラレちゃん』で大ヒットを飛ばした後、さらにそれを上回る――現在も続く――大ヒットを飛ばした『ドラゴンボール』を生み出し、つい最近も『SAND LAND』に着手。

 さらに大ヒットゲームシリーズ『ドラゴンクエスト』のキャラクターデザインも長きにわたり務め、日本で「あの画風」を知らない人はほとんどいない。

 いや、おそらくは世界中で誰もがあの画風を知っており、『ドラゴンボール』の世界累計販売部数は2億6000万部という。

 商業的に限って見ても、鳥山明は史上最も成功した漫画家であり、漫画家の頂点であった。

 そしてまた、鳥山明は現代のコナン・ドイルであり『ドラゴンボール』は現代のシャーロック・ホームズみたいなものだと思う。

 世界中でシャーロック・ホームズの名を知らぬ者もなく、その原作者の名は永遠に残る。

 これは、世界の文化史に残るようなことだ。

 
 さて、『ドラゴンボール』の世界的成功があったからこそ後続の日本マンガが世界で続々成功した、とはよく言われることである。

 そこで改めて思うのが、やはりあの鳥山明の画風のことだ。

 ここで虚心坦懐に、日本マンガが世界に広まる前の1980年代あたりに立ち返ってみよう。

 その時点で、鳥山明をはじめとする日本マンガの画風が、世界でこれほどまでに広まる・受け入れられると予想できただろうか。

 「こういう画風は日本人は好むかもしれないが、日本以外では好まれない・あまり受け入れられない」と思われていたのではないだろうか。

 外国人が好むのは、日本で言う「劇画調」またはセサミストリートみたいなカートゥーン式な画風であり、アラレちゃんみたいな絵には魅力も感じなければ描こうと思う人もいない、というのが普通の感覚ではなかったろうか。

 この日本人と外国人(主に欧米人)のイラスト感覚の違いは、今でも話のネタになることがあり――

 いわゆるアメコミ式のヒロインの絵を日本人が見ると、「これが美女か」「これのどこが美少女に見えるんだ」と理解不能なショックを受けるというのは、割とよくある話だと思う。

 ところがその鳥山明の画風が、欧米だけでなく世界で大ウケしたのである。

 そして今や日本の画風がマンガとして世界中に広まり、世界各地で日本式画風で自分のマンガを描く人たちも生み出しているのである。

 これはそれこそ、世界の絵画史・文化史に残る大変革ではあるまいか。


 当たり前のことのようだが、日本のマンガ画風は日本で生まれた。

 ああいう画風は日本だけでしか生まれ得ず、たぶん何百年経っても欧米その他の世界では生まれなかったような気がする。

 いったいなぜそうなのかは、未来の文化史家の重要研究テーマになるはずだ。

 そしてまた、なぜ日本の画風がこれほどまでに(絵への感性が日本とゼンゼン違うはずの)世界に根付くことができたか、ということも……

 とりわけ鳥山明の別格的な世界的大ウケぶりは群を抜いており、これは本当にシャーロック・ホームズ級の影響を後世に残している。

 その意味で鳥山明は、“マンガの神様”手塚治虫を継ぐ(凌ぐ?)二代目のマンガの神様と言っていいだろう。


 ところでその神様・現代漫画界の世界的巨人も、最初の商業誌投稿作品(週刊月刊ヤングジャンプ賞)には入賞できなかったのは意外である。

 そこで有名なジャンプ編集者の鳥嶋和彦 氏(Dr.マシリト)に「見出され」、ボツの嵐を食らいながら修行していくわけだが――

 これまたジャンプ初掲載の読み切り作品『ワンダー・アイランド』は、読者アンケートなんと最下位であった。

 つくづく思うのだが、もし鳥嶋氏が鳥山明を気にかけなかったらどうなっていただろうか。

 もし初掲載作が読者アンケート最下位だったからといってジャンプが切り捨てていたら、あるいは鳥山明が意気阻喪していたらどうなっていただろうか。
 
 それらは十分に、可能性のあることだったはずである。

 もちろん当時の鳥山明が、自分の絵が世界に受け入れられて何十年にもわたり大ヒットするなんて、少しでも思っていたはずはない。

(だからこそペンネームも使わず本名を使ったのだ。)


 これは人の世の偶然・成り行きの面白さというか、恐ろしさを感じさせるものだ。

 世界中の人たちがアラレちゃんもなくドラゴンボールもない世界を――もしかしたら日本マンガにほとんど触れることがない世界を――過ごす可能性は、非常に高い確率であったのである。

 そしてきっと我々は、ほんの偶然により「ドラゴンボールのない世界と同じような、“何か”のない世界」を生きているのは確実なのだ。


 日本のマンガが世界の文化史・絵画史を変えた、というのは大袈裟かもしれない。

 しかし大衆文化史を変えたというのは、そんなに大袈裟とは思わない。

 日本の画風が世界を席巻し、世界のどこでも誰でもドラゴンボールを知っていて、ファンがいる……

 自分がそんな世界の中の最重要人物になるなんて、読者アンケート最下位に沈んだときの鳥山明がどうして思っただろうか――