プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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台東区資産家夫婦、実子虐待毒殺事件-児童相談所を「ハズレくじ職場」から救う法

 2月14日、浅草で人気ホテルなどを経営する東京都台東区の「資産家」夫婦が、自らの次女(4歳)を殺害した容疑で逮捕された。

 2人はこの次女に向精神薬ばかりか、車のエンジン冷却用の不凍液などを大量に与えて中毒死させたらしい。

 4歳のわが子を、こういう風に毒殺する――まさに天人ともに許さぬ、鬼畜の所業と言うべきか。

 しかも彼らには全部で3人の子がいて、2019年には警察から東京都の児童相談所に虐待疑いの通告があり――

 児童相談所は子3人を一時保護したものの数か月後にはそれが解除され、3人は自宅に戻ったという。

 しかしその後も「育児放棄」状態があったようで、そもそもこの夫婦の自宅マンションの中は「ゴミ屋敷」状態だったという。

 まさに、(たぶん、親から資産を引き継いだという運のいい)人間のクズカップル、と言うべきか。

 
 さて、こんなニュースが流れるたびに出てくるものとして、こういう鬼畜親への痛憤の他に――

 「児童相談所は何をやってたんだ、なぜ救えなかったんだ」

 という声がある。

 しかし私はいつも思うのだが、そう言っている人って、「自分が児相の職員だったらこんなことにはさせない、こんなことにはならなかった」なんて本気で思っているのだろうか。

 正直言ってそういう人はかなり「バカ」か「痛い人」だと思うのだが、世の中の人はそうは思わないのだろうか。

 たぶんそういう人たちは「自分なら日米開戦を回避できた」とかも思うのだろうが、そんなワケねーだろと思う私は、人を不当に信じない性格なのだろうか。


 それはそれとして思うのは、児童相談所児童虐待・親の子殺しを全て防ぐことができるなんて、絶対にできないだろうということだ。

 いや、本当は全ての人が「そんなの無理だろ」と絶対に思っているはずなのだ。

 だいたい、児童相談所の職員のほぼ全員は、市役所か県庁から単に人事異動で配属されているだけである。

 きっとそのほとんどは児童福祉に何の興味の情熱もなく、ただ仕事だから仕方なく働いているに過ぎない。

 もうこの時点からして、そんな組織が活力や有能性を発揮するとはとても思えないではないか。

 これは決して今の児童相談所やその職員への悪口ではなく、世間一般に通じる当たり前の話である。
 
 思うに、児童相談所に配属が決まった職員は、「ハズレくじを引いた」と思うことだろう。

 児童相談所なんて、「行きたくない部署」の筆頭の一つに間違いないことだろう。

 そりゃそうである。

 こんな「できもしないこと」を目標に頑張らねばならず、しかも何かあればボロクソ叩かれるような職場に(にもかかわらず他の部署より給与が多いわけでもないのに)、誰が意欲を持って行きたがるのか。

 そんなことを想定するのは、よほど頭のおかしい人ではないか。

 ちょっと意地悪に勘繰るなら、児童相談所配属というのは「懲罰人事」みたいな扱いではなかろうかとさえ思う。

 そもそもこれを読んでいるあなたからして、児童相談所「なんか」で働きたいと思うだろうか。


 さて、しかし、こんなことを言っていても仕方ないのは仕方ない。

 児童相談所という制度を全く廃止するというのも現実的ではないので、それを存続させるという想定で、いささか改善策を考えてみよう。

 その改善策とは、「児童相談所を独立組織とする」ことである。

 つまり、市役所や県庁の一部門であり、その職員らの移動先の単なる一つという枠から外すのだ。

 即ちそれは、市役所や県庁でなく、児童相談所児童相談所としてその専属職員を採用する――基本的に児童相談所の外への人事異動はない――ということである。

 こうすれば児童相談所では、児童福祉に関心と熱意がある人――最低でも「自分の意志で児童相談所で働くことにした」人たちが集まってくるだろう。

 クルマに興味のない人が自動車会社に「たまたま」配属されて働く、

 フネや造船に興味のない人が「嫌々」造船会社で働く、

 そんなことでロクな業績は上げられないのはわかりきったことだと思うが、それが通常に行われているのが今の児童相談所なのだ。

 (別に児相に限った話でもなく、恐ろしいことに多くの職場ではこれが通常になっているのだが……)


 だが、そもそも児童相談所「なんか」に望んで就職したい人なんているのか。

 いくら児童福祉に関心があるからって、児童を救いたいという志があるからって、

 こうまで世間様からボロクソ言われ、ろくでなしのクズ親と対峙するなんていう嫌な思いをするとわかっていて、

 どうしてノコノコそんなところで働きたいと思うのか。

 だからこそ、市役所だの県庁だのの一部門として強制配属するのでなければ、人員は確保できないのではないか……

 と懸念されるのは当然である。

 しかしこれは、同じく「誰がなりたいと思うのか」としか思えない学校の教師というものの志願者が(確かに減っているとはいえ)まだまだたくさんいるように、必ずしも悲観したものでもないように思う。

 結局、世の中には「いったいどうやったらこんな業種や会社に興味が持てるのか」としか思えない業種や会社で、現実に働いている人は大勢いる。

 そして、たとえ定員に満たない数しか集まらないとしても――

 それでも「児童福祉に何の興味も情熱もない人」「児相へ配属されたのをハズレくじだと感じる人」たちが定員を満たして働いているよりも、まだマシな成果が挙げられるように思うのである。