児童の性的虐待、特に父親による娘への性行為というのは、おぞましいことこの上ない行為――
常人には想像もつかない、何でそんなことが起こるのか理解できない行為と思われながら、
しかし現実の世の中ではしばしば起きていることとされる。
その児童虐待に関する女性警察官の講演会の記事を、西日本新聞が報じている。
(⇒ 西日本新聞 2022年12月26日記事:5歳から実父に性的虐待…小5の女児「幽体離脱ができるんだよ」)
記事タイトルにもなっているので、これを書いた記者さんも間違いなく「最も印象に残った」エピソードであるはずだが……
この講演者が別の小学校で講演をした際、「私は幽体離脱ができるんだよ」と感想文を書いてきた5年生の女子生徒がいたらしい。
確かに非常に印象深いので、その部分を引用する。
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「私は幽体離脱ができるんだよ」。
過去に講演した小学校で、こんな感想文を寄せた5年女児がいたという。
安永さんは、ある直感が働いた。
自分の精神バランスを保つため、「心と体を引き離している可能性がある」と。
女児に話を聞いたところ、的中した。
女児はこう打ち明けた。
「髪の毛をなでられた瞬間、魂が体から抜け出すの。私は好きな歌を歌って(行為が)終わると、魂がまた体に戻るんだよ」。
実父から性的虐待を受けていた。
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私は好きな歌を歌って、行為が終わると、魂がまた体に戻るんだよ……
おそらく、ネットでやたら多くの人が書き込んでいる「涙が止まりません」というのは、こういう情景を思い浮かべたときのことを言うのだろう。
しかしここでは、あえて冷静(冷酷と言われるかもしれないが……)に考えてみよう。
この女児が言う「幽体離脱」とは、もっと具体的にはどういう状態を指しているのだろうか、と。
幽体離脱とは、私なりの定義では、「自分の視点が自分の体から離れ、自分自身の体やその周りの人々を見下ろしている」状態のことをいう。
超常現象に興味がある人にはよく知られているように、それは
「大怪我や大病で生死の境をさまよっているとき」
に起きるものであるようだ。
私は幸か不幸か(もちろん「幸」の方に決まっているが)、今まで一度も幽体離脱体験をしたことはない。
しかし、この幽体離脱体験というのが本物であるかどうかは、超常現象の解明の――超常現象の真実性の――、最重要と言っても過言ではない大テーマだと思っている。
もし本当に「幽体」が肉体から離脱し、それが視力をもって肉体を見下ろすというのが現実に起こっていることだとすれば、
「霊魂の死後生存」
「幽霊」
「霊界」
「あの世、天国、地獄」
そして「天使・悪魔・悪霊」、「呪い・妖術・生霊」
などといった超常現象界の錚々たる項目が、全て実在するという可能性が飛躍的に跳ね上がるのである。
さて、しかし――
今回の女児が語る「幽体離脱」においては、「性行為をされる自分と実父の姿」はまるで見えていないようだ。
そうでなくただ、「自分の好きな歌を歌って」いるという。
むろんこれは、心理的に十分理解できることだ。
女児は性行為されている自分と、自分に性行為している実父を、「見たくない」と思っているに違いない。
「だから」その2人の姿を見ていない――どころか視覚さえなく、ただ歌を歌っている「と感じている」。
こう考えるのが、最も素直な考え方だろう。
しかしそれはそれで、人間にはそういう風に現実に起きていることから――肉体は何かを感じているはずなのに――、「心を遮断できる」能力があることになる。
これはこれで、恐ろしいほど瞠目に値する能力とは言えまいか。
正直言って体験のない私には、こういうことが現実に起きる――あるいは「できる」――ということが、今一つ信じられない。
たとえばどうしても、こんなことを考えてしまうのである……
これまでの歴史の中で、肉体的にせよ心理的にせよ、拷問とか処刑とかを受けてきた人々は無数にいるが、その人たちの何割かには本当に「幽体離脱」が起きていたのだろうか、と。
たとえばイエス・キリストも、磔で死亡する前に幽体離脱を起こしていたのだろうか、と。
浅野内匠頭長矩は、切腹で絶命する前に幽体離脱していたのだろうか、と。
ここで一つ、私には仮説がある。
現代人は鏡を見る。自分を写した写真も見る。自分の姿を一生のうちに何度見るかわからない。
それは、子どもでさえも同じである。
だからこそ、死に直面して意識が混濁し「夢を見る」ときには、自分の姿を「見る」ことができるのではあるまいか。
逆に言うと、もし自分の姿を一度も見ずに育った人間集団がいるとすれば、彼らは全員幽体離脱で自分の姿を見るということを経験しないのではあるまいか――
だから今回の女児の幽体離脱とは、おそらくは「本物の」幽体離脱ではないのだろう。
それはいわゆる「心ここにあらず」の一形態なのだろう。
もちろんそれであっても、人間の心的能力(と言っていいのかわからないが……)の驚くべき一面であることには変わりない。
そして、人間の心をそんな風にしてしまう行為への憎しみは、いささかも弱まることがない。
ところで今回引用した新聞記事には、さらに恐るべきことがサラッと(でもないのだろうが)書いてある。
「小児性愛障害には、男性の5%が該当するというデータもあり」、
「海外では児童への性的虐待の加害者の8割が、自分自身が児童の頃に性的虐待を受けていたとの報告もある」、
「虐待を受けた人が親世代になると、自分の子どもにも同じように虐待をする『世代間連鎖』が指摘される」、
という記述である。
これは即ち、「子どもの頃に性的虐待を受けた人には、その子どもに虐待をしないよう監視が必要」ということになりはしまいか。
そしてこれを例証するかのように、この記事のキャプション写真に掲げられた「虐待を受けた男児の描いた絵」というのには、
「ねぇ、ともだち殺したことある?」
と男児の手書き文字が書かれ、友達を銃で撃ったり首をちょん切ったりという、スプラッタな絵が描かれているのである。
それは「連続殺人鬼が幼少期に描いた絵」と紹介しても、誰もが納得する画風なのだ。
うーむ、これは誰がどう考えても、「虐待経験のある人間には近づくな、警戒せよ」としか受け取れないように思えるのだが……