新型コロナウイルスの拡大は日本でも世界でも止まらず、オリンピック開幕の7月下旬までに終息するとはあまり期待が持てそうにない。
そんな中、特に日本では、相変わらず国民の「マスク信心」が盛んである。
国はマスク320万枚をメーカーから強制買い取りして北海道に供給することとし、
さらにマスクの転売を禁止、
3月中には月産6億枚体制を築くことを表明している。
これはWHO(世界保健機関)により、マスクは新型コロナウイルス防止にはほぼ役立たないことが表明された後のことである。
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興味深いと言えば興味深いが、メディアには安倍政権の「全国一斉休校」を批判する声はあるが(批判する庶民の声を採り上げるが)――
このマスク政策に対して批判する声は聞こえてこない。
誰もプロレスラーの日高郁人が「島根に砂丘はねぇって言ってんだろ!」と言うように、
「マスクに感染防止の効果はねぇって言ってんだろ!」とは言わないし、そういう庶民の声が採り上げられることもない。
それどころか世間では、「この時期にマスクしないで街に出るなんて/仕事に出るなんて、配慮と危機感に欠けてるバカ」とさえ見なしかねない雰囲気が、広がっているのではなかろうか。
たぶんそういう人は、WHOがマスクに効果はないと言っている、と言われても、「それでも絶対、やらないよりはマシに決まってる」と言い張るに違いないだろう。
本当にマスクをしないよりする方がマシなら、WHOもそう言っているはずである。
WHOが中国マネーを注ぎ込まれて中国べったりになっているというのがもし本当だとしても、それとマスクの効果について語るのは全く関係ない話である。
だが、それでも特に日本人には、「WHOなんて信用できない」とまで言ってマスクの効果をかたくなに信じる人が多い。
もっとも、現実世界ではマスクを着けてなくて街を歩いている人も大勢いるが……
しかし少なくとも、メディア上では「マスク着用効果あり」派が圧倒的大多数である。
ここで一つ、仮説を思いついてもいいだろう。
それは今の日本では、「信仰は科学に勝る」ならぬ「配慮は科学に勝る、勝るべきだ」という雰囲気が優勢になりつつある――
すなわち、そういう雰囲気が国民に支持されつつある、という仮説である。
マスクは感染防止に少しでも効果があるという信心、
その信心に水を差すものは科学的知見であっても受け入れない、反発する、
なぜならその科学的知見とやらは「人への配慮に欠ける」から――
そういう心情を支持する人が、もしかしたら今の日本人の過半数を占めているかもしれないのだ。
いや、これは日本に限らず、世界中でそういう傾向があるのかもしれない。
「フェイクニュース」や「オルタナ真実」、果ては「地球平面説」の躍進に至るまで、
こういう
「配慮は科学に勝る」(べきだ)
「配慮は真実に勝る」(べきだ)
とするのが「正しい」と心底感じる心情が、世界中で本当に勝ちを収めつつある――と言えはしまいか。
思うに、日本の科学者たち、いや理系の職業に携わる人たちや理系人間を自認する人たちは、こういう雰囲気に心から危機感を持つべきではなかろうか。
ひょっとしたらダーウィンの進化論も、19世紀末のイギリスでは受け入れられたが、
逆にもし現代の日本で初めて提唱されたとしたら、「人の心に配慮してない」と受け入れられない可能性さえも考えられる。
SFの世界では、「宗教の支配する中世的な未来」を舞台にするのは定番の一つである。
そして日本の未来は、宗教ならぬ「配慮の支配する世界」になったとしても決してSFではないし、現に今、すでにそうなっているとさえ思える。
少なくとも現時点では、「マスク着用に感染防止効果はない」とする意見は、「異端」か「不信心者」としてメディア上では抑圧されているのではあるまいか。