プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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WHO「感染予防にマスク不要」-マスク着用は東アジア土人の俗信、という見方

 新型コロナウイルスが世界で猛威を振るう中、WHO(世界保健機関)は、コロナウイルスの感染予防にマスク着用は必要ない、との見方を示した。

 要するに、「既に感染している人はマスクすべきだが、してない人はマスクしても大して予防にならない」というわけである。

 そもそも医者がマスクを着けて手術するのは「自分の口からバイ菌が患者の体内に入るのを防ぐため」で、患者の内臓からバイ菌が医者の体内に入るのを防ぐためではない。

 それよりもっと重要なのは「手洗い」だ、というわけである。


 これは、予想どおりの見解だと言うべきだろう。

 私は、現代世界の感染症予防史に詳しいわけでは全然ないが――

 いまだかつてWHOや(疫病蔓延が度重なってきたはずの)アフリカ諸国・カリブ海諸国の政府は、国民に感染症予防のためにマスクを着用するよう呼びかけた試しはないはずだからである。

(⇒ 日本経済新聞 2020年3月1日記事:感染予防にマスク着用不要 過度の使用控えてとWHO)

(⇒ BAZAAR 2020年2月28日記事:マスクで「新型コロナウイルス」の感染は防げるのか?その効果と正しい使用方法を医師に聞いた)

 
 しかしおそらく多くの日本人は、この見解に賛同できない(したくない)と思われる。

 「WHOなんて信用できない」と反発さえすると思われる。

 確かにWHOも「安心感を得たいとの気持ちは理解できる。マスクをする人を批判するわけではない」とは言っているが、これはもちろん、そういう反発を恐れた「配慮」だろう。

 それは誰に対する配慮かと言えば、日本人を筆頭とする東アジアの人々に対してである。

 どうも文化人類学的に言って、東アジア圏の人たちには、「マスク信仰」が広まっているようだからだ。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 マスク着用は感染書予防に効果があるのか、ないのか。

 その答えは、今回のWHOの見解で科学的には決着が付いたも同然である。

 答えは「大して効果なし」である。

 もちろん「誰が感染してるかわからないのだから、やっぱりみんなが着ければ効果があるはず」とも言えるが――

 そんなことも考えに入れないでWHOが見解を表明するなんて、いくらなんでもあり得ないだろう。

 しかし日本人をはじめとする東アジア人は(たぶん、インドあたりは入っていない)、かたくなに「マスクは効果がある」「着けるべきだ」と信じ続けるに違いない。

 これは科学の問題ではなく、信仰の問題に近いものがある。

 それは、たとえて言えば――

 「恐ろしい造形のお面を着ければ、精霊が降りてきて自分を守ってくれる」と考えている部族民の信仰・信念・精神体系と同じ種類のものなのだろう。

 部外者が「そんなことないよ、それは迷信だよ」と言おうものなら、もちろん部族民は怒り、激しく反発するに決まっている。

 ましてや同じ部族民がそんなことを言い出せば、激高して叩き殺したくなっても不思議はない。

 部族民の信仰に対する科学的指摘など、その部族民にとってはお呼びじゃない――

 控えめに言っても大きなお世話、なのである。  


 かつて日本人は、牛の肉や乳を飲む西洋人を、おぞましい下劣な習慣を持つ連中と思っていた。

 今の日本人は、「科学的な態度でなく、ほとんど信仰として」クジラ保護を叫ぶ西洋人に、反発している。

 加えて今の日本人は、「マスク着用に感染症を予防する科学的根拠はない」とする西洋人(と日本人)に、たぶん激しく反発する。


 もしかしたら自分の考えていることは、

 正しいと思っていることは、

 大切だと思っていることは、

 「ガラパゴス化した東アジア土人の迷信・信仰」

 かもしれない、と思い返してみることは、それこそとても重要なことである。

 そういう思い返しをしないのなら、我々は今でも動物の肩甲骨を焼いてみたり鳥の内臓を割いてみたりして、自分の進路や経済政策を決めていたかもしれないからである。