ところで日本企業では、管理職に占める女性の割合はわずか6.6%。(帝国データバンク2016年調べ)
それを政府は、2020年までに30%に引き上げる方針を示している。
ここで私がいつも思うのは、「保育士」のことである。
保育士に占める男性の割合は、2010年でたったの2.5%。
最近の割合は見つけられなかったが、それでも最大5~8%程度と言われる。
これは管理職に占める女性の割合と同程度か、それをも下回る低さである。
さて、「管理職に占める女性の割合を30%にしよう」と政府が目標を立てることについては――
できるわけないだろと冷笑するのは別として、世間の人は表立って異を唱えない。
(唱えたら、例によって叩かれるだろう。)
しかし、「保育士に占める男性の割合を30%にしよう」というのはどうだろう。
そういえば政府はなぜ、そんな目標を立てる気配もないのだろうか?
別に男性が「保育士として生得的に女性に劣る」と(まさか)思っているわけではあるまい。
別に男性が保育士の半分を占めたとしても、何のおかしなことがあろう。
いやむしろ、その方が望ましい姿なくらいではないか?
だが思うに、こんな目標を掲げても、世間からはかばかしい反応・支持は得られないだろう。
それどころか、表立った反発の声さえ上がりそうだ――ことによると、女性たちから強力な声が。
そして男性自身もまた、こんな目標に心から賛同することはなさそうだ。
なぜなら彼らは「わかっている」――自分の子ども以外の子どもの世話をしたがる男性は少なく、そもそも志望者がそんなにいないだろうことを。
さて、あなたは「男性保育士の割合を30%(50%でもよいが)にしよう」という目標設定に賛成だろうか。
反対・反発するとしたら、その理由は何なのか。
もしあなたがグーグルの匿名男性エンジニア(ジェームズ・ダモア氏)の意見を批判する立場であれば、その理由をひねり出すことは非常に難しいと思われる。
「男性は女性に比べて保育適性に劣っている」とはむろん言えない。
「保育はだいたい女がするもの」などと、まさか言えるわけもない。
「先天的に/生得的に、女は男より保育に向いている」というのは完全に問題外だ。
まして「男性を児童に近づけるのは危ない、不安だ」と言う(思う)に至っては、もう何をか言わんやである。
だからといって「そもそも男性は保育士に応募してこない」と言えば、それは匿名エンジニアの言っていることとたいして違いはないことになる。
(「そもそも女性は管理職になりたがらない」というのも、本当かも知れないが言ったら叩かれるタブーである。)
なお渦中のジェームズ・ダモア氏、(やはりと言うべきか)すでに他のIT会社からオファーが来ているようでもある。
確かに、もし私が会社を経営しているのなら、こういう人材にこそ来てもらいたいと思うかもしれない。
それは「思想が一致するから」というわけではなく、純粋に度胸や勇気を買うからである。
こういう人は、“先輩や上司や雰囲気に配慮するのがあるべき姿”という道徳観を持ち、だからこそ“先輩や上司や雰囲気に逆らわない(逆らえない)”という真面目で善意な日本の土人社員より、どれほど信頼できるかわからない。
さて私としてはこの問題、とにかく徹底的に能力主義を貫くしか解決策はないと思う。
男か女かなどどうでもよく、ただひたすらに能力を見て処遇や昇給・昇進を決めるのである。
企業のリーダーなんて、指導力やビジョンがあれば誰でもよいではないか。
エンジニアをはじめとする従業員なんて、能力さえあれば誰でもよいではないか。
これに比べれば性別・年齢・人種や「会社に入った順番」といったものは、吹けば飛ぶようなどうでもいいゴミデータ・カスパラメータである――
そういう風に割り切ったとき、初めて真の男女平等・公正処遇とダイバーシティが実現すると言えるだろう。
それが暗黒社会というなら、人間はいつまでも「不公正感」と付き合っていくしかない。
そう、たとえグーグルといえども……