前回記事で引用した一連の過去記事 “「AI人事」の時代・適材適所の完成とネオ身分社会の到来” のとおり、AIが最も威力を発揮するのはマーケティング方面ではなく、むしろ採用・処遇・人材配置といった人事方面の方だと思われる。
つまり一言で言うと、今後はますます「生まれながらに頭のいい人」が選ばれる時代になる、ということである。
「人間がAIに選別される」と言われれば100%の人が“暗黒の未来社会”というフレーズを思い浮かべるわけだが、しかし一面このことは、とても面白い事態を惹起するのではないかとも考えられる。
これからの人間はAIで会社に選別される。
真に優秀な人間、生まれながらに頭がいいとAI判定された人間――その大部分はむろん若者――しか、一流・有力企業に入ることはできないだろう。
そうでない人間はあらかじめAIで高精度に弾かれるだろう。
しかし、ということは、その会社の「AI判定以前」の先輩・上司たちは「AI判定世代」からどう思われるか想像に難くない。
そう、間違いなくその先輩・上司たちは、「ロクな判定も受けてない(真に優秀かどうかの保証がない)、ヌルいジジィ・ババァの世代」と後輩たちに見なされるのが自然である。
いや、だって、実際それは真実ではないか?
もしかするとAI採用の普及は、日本社会に脈々として続いてきた年功序列体制を、ついに打破する起爆剤となるかもしれない。
少壮青年将校が上を蔑(なみ)し、下克上が一般化する戦国の世が再来するかもしれない。
(実力主義とは、結局そういう世の中になることである。
生まれながらの優秀者が凡人・凡才を追い落として上に立つことである。)
しかし反面、AI判定の普及が就職や出世だけでなく、個人のプライベートな人生にも大きく影響するだろうこともまた明白だろう。
端的に言って近未来の社会では、恋愛・結婚するにもAI判定が用いられることになると思う。
「生まれながらの優秀者」であり「生まれながらの欠陥を持っていない人」であることを証する何かが、必要になってくると思われる。
(逆に言うと、あなたを含むその他の人が、他の誰かにそういうものを求めてくるのだ。)
いずれ見合いや婚活の場では、自分の「遺伝子証明書」なんかを提出するようになるだろう。
遺伝性の病気(糖尿病とか無数にある)の素因とか、精神病の家系であるとか、そういうものを持っていないことを証する書面をお互いが取り交わすのが普通になっても、全くおかしなことではない。
きっとあなたは「そんなこととんでもない、許されない」と感じるだろうが――
しかし、もしそんなことが可能であれば、やっぱり相手に求める(少なくとも、求めたいと思う)に決まっているのではないか?
誰も好き好んで顔や頭が悪い人間と結婚したくないように、遺伝病・精神病の素因を持つ人間を結婚相手に持ちたくはない。
子どもや子孫にそんなのを受け継がせたくはない。
これは非常に危険思想で差別発言であるかに見えるが、しかし至極当たり前な人情であり親心であり、父母の願いなのではないか?
もちろんあなたも内心は、きっとそう思っているのではないか?
むろんAI判定で頭の良さも人付き合いの良さも折り紙付き・血統書付きの人間であれば(よって将来の出世・富裕化が極めて高く見込まれる人間であれば)、そんな人のパートナーになりたいと願うのは人として当然のことである。
そんな判定ができるにも関わらず利用しないなんて、本当に考えられることだろうか。
そう、こんな世の中になれば、未婚率の上昇と少子化の進展は今以上に進むに違いない。
選別基準を満たす人間はごく少数なのはわかりきっているが、しかしそれでも多くの人はそのごく少数を望むのである。
(たとえ自分自身は、選別基準を満たしていなくても……)
これはいったい人為淘汰なのか自然淘汰なのか、選択に困るところではある。
しかし昆虫の世界でも「メスは大きなエサを持ってきたオスを交尾相手に選ぶ」といったことがポピュラーらしいから、やはり自然の営みの一環と言うべきだろう。
どうやら素朴に愛・恋・出会いを求める人間にとっては、ますます困難かつ絶望的な時代になってきそうな雰囲気である。
(私はそういうタイプの人間でなくて、つくづく良かったと思う。)
しかし、これも世の流れ。
美人資本主義が“みんなの支持する性淘汰”なのと同じく、恋愛・結婚における選別主義もまた、“みんなの望む淘汰圧”である。
企業が「いい人/優秀な人」を獲りたいと願うなら、それはAIを活用するだろう。
だったら個人が恋人・配偶者を選ぶのにAIを使ったからとて、何の不思議も(禁止事由も?)ないと言うべきだ。
百年後の日本が人口たった百万人で、しかもその全員が容姿抜群・健康そのもののエリート知能の持ち主だったとしても、驚くことは何もなかろう。