プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

男性の「身長淘汰」-21世紀の性淘汰は動物の世界に戻る (下)

 しかしそれにしても、思うのである。

 このネットが世界を覆う時代、チャットGPTが自動で文章を作成する時代、AIが人間を超えるシンギュラリティの時代が目前に迫っているかのような21世紀の今――

 日本女性がパートナーとしての男性を選ぶ第一基準が、よりにもよって「体の大きさ・背の高さ」という極めて単純明快な原始的なものになろうとは、誰が予想したろうか。

 これはまるで、動物の世界さながらである。


 クジャクのメスは、羽が華麗で派手なオスを選ぶという。だからオスの羽は今のような派手さになったという。

 ある種のカニのオスは(片方の)ハサミが大きいほどメスにモテ、

 ある種の昆虫やシカ類のツノもまた、大きいほど派手なほどモテるからスゴい形に進化したらしい。

 それらに比べても現代日本女性の身長基準は、動物界の中でもかなりシンプルな部類に入りそうだ。


 断っておくがこんなことを言ったからとて、現代日本女性を批判したり悪口の対象にしようとしているのではない。

 思えば動物界においては、「メスがオスを選ぶ」のが普通でありスタンダードである。

 オスがメスに選ばれるために(餌などの)贈り物を持って行く、立派な巣を用意する、そんな例は枚挙にいとまがない。

 その逆の例は、寡聞にして聞いたことがない。

(⇒ 2023年2月17日記事:デート代負担永久論争-人間界ニホン族の雌雄関係 (下))


 そしてついに現代日本も、そういう「動物界の常道」に戻るときが来たのである。

 身分制などの男女差別的社会制度すなわち人為的な制度が崩れ、女性の稼得力や権利が伸長した結果、女性が「相手を選ぶ権利」は当然のものとして社会に普及した。

 そこで第一基準となったのが「体の大きさ・体高・身長」という、これ以上なくシンプルな動物的なものであった。

 これはいわば、人為的世界から自然的世界への帰還である。

 あなたはこれに、静かな感動めいたものすら覚えないだろうか。

 人間は、あたかも自然淘汰から離脱したかのような社会を作り上げてきた。

 かつての身分制社会では、「貴族の姫君と平民以下の男との純愛」など、極少の例外を除いては考えられもしないことだったに違いない。

 そういう制度のある社会は、自然状態から離反した環境だったと言い換えてもいいだろう。

 だがやっぱり、自然淘汰は死んでいなかった。
 
 それはどこででも生きており、シンギュラリティ時代直前の日本でも再び息を吹き返した。

 川端康成『雪国』の超有名な冒頭フレーズは、「トンネルを抜けると、そこは雪国だった」というものである。

 これになぞらえれば、「人為的制度の社会を抜けると、そこは動物界だった」ということになろうか。


 現代日本の恋愛・結婚・婚活は自然状態に還り、メスがオスを選ぶという生物の常道に回帰する。

 そこでメスがオスを選ぶ第一の基準は、生物界の中でも最も単純で原始的だろう「体の大きさ」である。

(横方向ではなく、縦方向に限定されるが……)


 これは、大幅な男余りで有名な中国とかでも同じではあるまいか。

 いや、もしかしたら東アジア圏全体がそんなことになるのではあるまいか。

 自然淘汰・性淘汰は死なず、人間が動物である限り、スーパーテクノロジーが百花繚乱の21世紀でも作動し続ける。

 それも、生き物として最も原始的だろう「基準」をもって……

 これは何だか、言い知れぬ雰囲気を持つ逆説ではないだろうか。