プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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ダライ・ラマ「私の舌を吸って」の性的虐待? 子どもと絡むのはもうやめよ

 チベットからインドに長年亡命中の、ダライラマ14世(87歳)――

 彼がインド北部の寺院で「インドの不動産会社M3Mの支援で大学を卒業した100人ほど」との交流会に出席(いやに俗っぽい……)した際、壇上に上がった男児に対し

「自分の頬にキスするよう求め」

「少年の唇にキスし」

「私の舌を吸って」

と本当に舌を突き出した。

 男児もまた本当に舌を突き出したように見えるものの、本当に唇を吸うことはなく両者は額を触れ合わせて離れ、それを見ていた観衆は笑い声で軽い喝采を上げている。

 これが男児への性的虐待と批判され、ダライ・ラマ法王庁

ダライ・ラマは無邪気な遊び心で人をからかうことがある。

 しかし彼も、今回のことは悔いている」

 と謝罪表明した。
 
(⇒ ニューズウィーク日本版 2023年4月11日記事:ダライ・ラマ謝罪、少年の唇にキスし「私の舌を吸って」──性的虐待と批判浴びる)

(⇒ CNN 2023年4月11日記事:ダライ・ラマ、動画拡散で謝罪 少年に「私の舌を吸いなさい」)
 
 
 さて、この動画を見る限り、周りの人は目の前で展開されていることに嫌悪感を示すことなく、むしろ微笑ましく笑っているようだ。

 またダライ・ラマも、「今から物議を醸すかもしれないことをするぞ」という意気込みはなく、確かに自然体で「軽いジョークで」男児に対しているように見える。

 チベットの文化がどうであるのかという話でもあり――とはいえ「私の舌を吸って」というのは、ウッと仰け反るほどの強烈な言葉だが――、これを性的虐待として非難するのは「現代欧米基準で脊髄反射」しているだけではないか、という疑いさえある。

 (その欧米も、コロナ前では高齢の男性首脳同士が「抱き合ってキスし合う」という、多くの日本人にはそれこそ性的試練と思えるような挨拶を普通に行っていたと思うのだが……)


 しかしそれはともかく、私にはこれについて思うことがある。それは、

「もういい加減、公然の場で子どもと触れ合うパフォーマンスは止めよ」

 ということである。

 皆さんも、しばしば見たことがあるだろう――

 政治家とか企業人が壇上に子供を上げて、または路上で、

 その子どもを抱き上げたり抱きしめたり、それこそ頬にキスしたり、

 あるいは子ども目線までしゃがみこんで笑顔で話しかける、

 などといったパフォーマンスを。

 今回のダライ・ラマの行動が性的虐待なら、ああいうのだってそうではないかと思うのである。

 そもそもからして「子どもをダシに使う」ああいうパフォーマンスは、クサくて見ちゃおれないと思うのである。

 だいいち現代日本のお母様方は、赤の他人に(中でも高齢男性に)自分の子どもを抱きしめられるどころか、触れられることさえ(話しかけられることさえ)激しく嫌悪するというのが普通の感覚なのではなかろうか。

 私はああいうことをする人間を、自動的に信頼できないと感じる。見るに耐えないと思う。

 そりゃアクシデントで子どもの方から近づいてくるのなら、対応せざるを得ないにしても――

 そうでなくわざわざ子どもを呼び寄せて「触れ合い」「交流する」なんて、それ自体が人の道に反するように思えるのである。

 もう人類はいい加減、「子どもと触れ合うパフォーマンス」を止めるべきではないか。オワコンだと思うべきではないか。

 なんなら世界は、「人前で公然の場で、子どもと接触するのをわざわざ見せる」という行為を法的に禁止した方がいいのではないか。

 87歳男性のダライ・ラマだろうと20代の女性だろうと、それほどああいうパフォーマンスをやるというのは見苦しく、見るに耐えないと思うのだ。