プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「推し活」害毒論-ジャニーズ性加害へのマスコミ忖度

 いまやネット界では「マスコミはやっぱりマスゴミ」論の最大の根拠となっている、故ジャニー喜多川によるジャニーズ事務所所属男子アイドル(の卵を含む)への性加害事件――

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 


 それについて4月12日、元ジャニーズJr.の岡本カウアン氏が、日本外国特派員協会において「自分は15歳のときからジャニー喜多川に性加害を受けていた」との会見を行った。

 そして「ついに」というべきか、4月13日のNHK夕方4時のニュースの5分枠の中で、このことが2分をかけて報じられた。

 これがはたして「蟻の一穴」となるのか、これでもまだ大手民間メディアは忖度・黙殺を続けるのか、俄然注目が高まるというものだ。

 もし忖度・黙殺が続くのなら、それは日本の大手民間メディアのダイビング自殺とみなされても仕方ないだろう。

 少なくとも日本の大手民間メディアにとっての「報道の自由」「国民の知る権利」とは、自分たちの報道「しない」自由、国民が「知っていいと自分たちが選択した」事柄を知らせる自由のことである、と皮肉られても仕方ないだろう。

(⇒ 弁護士ドットコムニュース 2023年4月13日記事:NHK、ジャニー喜多川さんの「性的行為」問題報じる…夕方の5分ニュースで)


 さて、なぜこうもあからさまに日本の大手民間メディアがジャニーズ事務所と故ジャニー喜多川を「スルー擁護」するのか、
 
 なぜこれに比べれば牧歌的とさえ言える芸能人や一般人の「悪行」はバンバン報道するのに、ジャニーズについてはそうしないのか……

 という疑問の答えは、ジャニーズ事務所からアイドルの供給を受けられなければ視聴率競争に負けるからだと言われる。

 男女を問わずアイドルというものに一切何の興味もない私にしてみれば、ホンマにそんなことになるんかいなと疑問に思うことしきりである。

 しかし、もしこの懸念が正しいとすれば、それは畢竟「ジャニーズファンの数が非常に多く、彼ら(彼女ら?)に見放されるのが怖いから」ということになるのだろう。

 そしてこれにつき私が感じざるを得ないのは、「推し活」というものの害毒性である。

 「推し活」は、現代では無条件に推奨される。

 それは生活にハリを与え、心身の健康にも寄与すること大と言われている――いや、そうメディアで報じられている。

 しかしこれは、そういう推し活をしている人の中に、新たな害毒的道徳観を(まるでそれが「いいこと」であるかのように)肥大させていないか。

 その害毒的道徳観とは、

 

「推し(の対象)について、悪いことは言っても思ってもならない。

 信じてもならない、聞くことすらいけない。

 推しを悪く言う人は、無条件で悪であり敵であり間違っている、と思うべき」

 

 とする心情である。

 これは一言で言えば、「陰謀論者の思考」と全く同じ……

 または「脊髄反射愛国者」(ある意味「ネトウヨ」)と全く同じと言えるだろう。

 このような道徳観が「正しい」と思っている人が、ジャニーズファンの中には非常に多いということだろうか。

 そうでなければ、マスコミがこうまでジャニーズ事務所を恐れ憚る心理というのは理解しがたい。

 
 思えば「推し活の推奨」とは、推しの対象にフィーバーすることを善とするススメである。

 「自分の推しが批判されるなんて許せない」と感じることを善とするススメである。

 それは端的に言って、何かの「信者」「護教者」となることを推奨するものだ。

 これは、コジツケではあるが――

 この日本でオウム真理教や旧統一教会などを筆頭とする新興宗教が爆発的に伸長したこと、それが国政にも関与するほど強勢を誇るようになったことについて、この「推し活はいいこと」とする雰囲気――こういう雰囲気は昔からあったように思う――は、いささか関係があると思える。

 もしジャニーズファンの多数が、本当に上記のような「推しへの批判は断固許さない・受け入れない・聞かない」という精神を持っているならば――

 それを育てたのは、日本の「推し活はいいこと」という道徳観に他ならない、と言っていいのではあるまいか。