それはそれとしてこのデート代論争、いつも必ず「男は女におごるべきか」がテーマになる。
その逆、「女は男におごるべきか」はテーマにならない。
これだけで世の「根深い性差別、固定化された性的役割分担」意識を疑わせるに充分であるが――
LGBTQ問題が世間を賑わせている中、「男と男」「女と女」がデートしたらどっちがカネを払うべきか、を考えるのは無駄ではあるまい。
これはもう、大多数が「割り勘」と答えるはずである。
そうでなければ「収入が多い方」「交通費がかかってる方(遠くから来た方)」となるのだろう。
だったら男と女の場合も、まるきりこれと同じでいいのではないかと思わずにはいられない。
しかしもちろん、そんな簡単にカタが付くのなら永久論争になりはしない。
これが論争になるのは、おごるという行為が人間界では一般的に「上」の立場を示すことになるからである。
上司と部下では、上司がおごるのが当然だ。それは上司が上だから。
大人と子どもでは、大人がおごるのが当然だ。それは大人が上だから。(収入があるから、というのもあるが)
逆に言うと、おごられるのは自分が下の立場であることも意味する。
だからこそおごられるのは屈辱だと考える男性や、それを気にして(あえて)いつもおごられることにしている女性、なんて類型が出てくる。
「やたらおごるのを好む上司や先輩」というのも、そうである。
さらにこれには、女性側の極めて根深い「男女平等だけど、男には学歴も収入も身長も自分より上であることを求める」志向も絡んでくる。
(⇒ 2022年6月18日記事:男女平等意識の試金石&最卑近問題「デート代のワリカン」)