プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「黒人スーパーマン」誕生へ-娯楽作品の多様性重視は多民族国家有利に働く

 世界中の誰でも知ってる(たぶん北朝鮮人も知ってる)スーパーヒーローの一人、スーパーマン

 それを演じるのが、いよいよ黒人になりそうだという。

(⇒ 東洋経済オンライン 2021年3月6日記事:あの「スーパーマン」を黒人俳優が演じる必然 理由は決して「ポリコレ」への配慮だけじゃない)

 このニュース、日本人にはあまりピンとこないのではないかと思う。

 スーパーマンが黒人だからって、違和感を持つ人はそんなにはいないだろう。

 そもそも今まで見てきた外国映画で、「黒人がヒーロー役・重要役をやる」ものは、けっこう沢山あったじゃないかと思うのが関の山である。

 もしこれを、あえて白人の気持ちになって考えようとすれば――

 それは「スーパーマン役を、アジア系の民族にやらせる」というのを思い浮かべるのが一番だろうか。

 日本人、中国人、モンゴル人、インドネシア人……

 あからさまにそれらの民族っぽい顔立ちの俳優がスーパーマンを演じるとすれば、日本人にももしかしたら白人の気持ちがわかるのかもしれない。

 たぶんあなたを含めアジア系の人たちは、「そんなことはしてくれるな、イメージが壊れる」と直感的に感じるのではないか。

 それと並行して、「いやいや、こんなことは思っちゃいけない。ましてや人前で言っちゃいけない」と思うのではないか。


 正直私としては、「東アジア系スーパーマン」「アラブ系スーパーマン」が見てみたいと思う。

 「ラテン系スーパーマン」「メキシカン系スーパーマン」もそうである。

 黒人は抜擢されてもそれらの民族がスーパーマン役に抜擢されないとすれば、これもまた人種差別の一環ではあるまいか。


 それはそれとして――

 昨年、世界映画界最大の賞であるアカデミー賞は、「多様性基準」とも言うべき作品選出基準を発表した。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 


 繰り返しになるのだが、こういう基準をクリアしなければアカデミー賞を受賞できないとすれば、日本作品の受賞はほぼ絶望的になるはずである。

 もちろん私は映画界に全然詳しくないので、もしかしたらこの新基準というのは、

アメリカとヨーロッパ(つまり白人圏)にだけ適用されて、それ以外の地域には免除」

 ということになっているのかもしれない。

 しかしそうでないのなら、日本でアカデミー賞を狙える作品を作ろうとすれば、ムリにでも(一目でそれとわかる)外国人を入れなければならないのだろうか。

 それは不自然だとしたら、日本製ではあるが海外を舞台にした映画にしなければならないのだろうか。

 なんか、「これこそ世界の映画界から日本を締め出そうとするアメリカの陰謀だ」なんていう陰謀論が、日本で広まってもいいような感じだと思うのだが……