さて、ここで参考になりそうなのは、動物界の状況である。
昆虫界や鳥界では、交尾する際にオスがメスに「プレゼント」――たいていは食べ物だが、ニワシドリのように「素敵な巣」というものもある――を差し出し、それをメスが値踏みするという風習が広く分布しているのは有名だ。
そしてその逆、メスがオスにプレゼントを持ってきてオスがそれを値踏みする、というパターンは存在しない。
(存在するかもしれないが、極めて少数なのは確かだ。)
私は「自然界ではこうだから、人間界もそうあるべきだ」という論法には組しない。
しかし同時に、やっぱり人間も自然界・動物界の一員であるという事実は否定しない。
そうすると人間だって当然のごとくオスがメスに「おごる」べきであり、メスがオスを値踏みするのが本当なのだということになりそうである。
だがしかし、本当に人間と動物は一緒だろうか。
いや、昆虫界や鳥界でも、本当にオスは「メスなら誰にでも」見境なくおごっているのだろうか。
そういえば動物界の本において「メスは遺伝的に優秀な(外見から優秀と感じられる)オスを選んでいる」とは非常によく書かれているが、「オスもまた遺伝的に優秀なメスを選んでいる」とは目にした覚えがない。
これは昔から、気になっているところである――
動物界のオスというのは、出会いさえできればメスなら誰でもいいのだろうか。
メスと出会いはするが、「やっぱりコイツはダメ」と判断して去っていく、というようなことはあるのだろうか。
私が知らないだけかもしれないが、そんな話は一つも読んだことがないのだ。
しかし、もしそうであるとすれば……
昆虫や鳥のオスは「メスなら誰でもいい」というのであれば、やはり人間界と動物界は全く違っていると言わざるを得ない。
人間界がそんなものじゃないことは、誰でもわかっていることだからである。
人間のオスは、明らかにメスを値付けしている。誰でもいいというわけではない。
つまりこの点で、動物界を引き合いに出したり手本にするといったことは、全く不適当ということになる。
そして話は、元に戻るが……
もし深田えいみの言う「女性はデートのためにコストをかけているので、デート代は男が出してほしい」に理があるとするなら、
それは人間界ではメスもまたオスに値踏みされている、可愛いと思われなくちゃ高く値付けされない、ということの自認であるように思われる。
要するに人間界のオスは、メスなら誰でもいいわけじゃないということをメス側も認めているということである。
鳥界のクジャクのオスが華麗な羽をコストをかけて身にまとうがごとく、
人間界(の、少なくともニホン族)では、メスの方が高いコストをかけて可愛い装いをせねばならない。
そうでなくては「選ばれない」。
このことを思うと、デート代は原則的に男性側が出すべきだという論もまた、一分の理があるとは感じるのである。
別に深田えいみは、謝罪しなくても良かったんじゃないかと思うのである。
さて、この「デート代は男が出すべきか」論争――
答えは「人それぞれ、カップルにより異なる」しかないはずなのだが、はたして22世紀にもまだ続いているのだろうか。
そしてLGBTQの人々はこの論争をどう感じ、どう判断するのだろうか。