プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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静岡市公園にスタバ出店断念ー老害反対と「スタバ基準論」

 静岡市葵区の、城北公園のPFI整備事業。
 
 そこにはスターバックス(スタバ)が出店することになっていたのだが、それが地元住民の一部の反対を受け、出店を断念することになったらしい。

(⇒ 静岡新聞 2022年4月25日記事:「非常に残念」「市側の対応はどうだったのか」…「スタバ」“出店断念”意向に静岡市民も複雑)

 「断念」とは書いてあるが、スタバ側からすれば「あ、いいですよ、そんなにウチの出店に反対するんなら別に出店しなくてもいいですから」というような意識なのではないか…と、誰もが思うのではなかろうか。

 なぜなら、スタバという店は「基準」になっているからである。

 スタバのあるなしが、今の日本人の心の中では「都会とイナカ」を分ける基準となっているからである。

 いったいどうしてただの(と言っては失礼だが)コーヒーショップがここまでの威信を持つようになったのか、私は知らない。

 そんなに大して他の喫茶店と味の違いがあるようにも思えないのだが、なぜかそうなっている。

 ちなみに私は、一度もスタバに行ったことがない。

 そのあまりの価格設定の高さにビビるからである(笑)

 世の中の人は、私が思うよりずっと裕福な人が多いのか…


 さて、日本人の意識が「スタバがあれば都会でオシャレ」というものになっている以上――

 今回スタバの出店に反対した一部地元住民たちは、一言でいえば「老害」扱いされるのは当然の成り行きだろう。
 
 実際、このニュースへのコメント欄は圧倒的にそんな意見が多数に見える。

 なんでも反対理由の中でも主要なのは、「今ある樹木を伐採することへの反対」だという。

 この理由は、日本全国いたるところで聞かれるものなのであるが……

 正直私には、この「樹木愛」というべきものにほとんど共感するところがない。

 日本人は、それほどまでに樹木を愛しているのだろうか。

 公園の木を切ることが、なんでそんなにオオゴトに感じられるのだろうか。

 どうもこれ、「初めからどうあっても反対なのだが、いちばん手っ取り早い(あんまり他の理由を考えなくていい)反対理由」として使われている気がしてならない。

 そしてこういうとき必ず「市民の声」として報じられるのが、「市側の対応に問題はなかったのか」だが……

 これもまた、市の対応次第で反対運動は沈静化するものだと、こういうことを言う人は本当に思っているのだろうか。

 私には、市がどんな対応をしようと反対の人はどこまでも反対であり、どうあっても納得しないのは明々白々じゃないかと思われるのだが。


 今回のこのニュースで感じるのは、官民共同事業だろうと独力事業だろうと、

 ある程度の規模と威信(評判、ブランド)を持った企業は、もう地元対策のためにヘイコラしないし譲歩も妥協もしない――

 要約すれば「メンドくさい」相手や地域とはさっさと縁を切る、というビジネスライクな行動をとる時代なのだということである。

 「反対意見を尊重」して「誠意を持った話し合い」を続けるなんてメンドくさい(しかも、成功が見込めない)ことは、ビジネスとしてやってられないという、企業としてホンネの行動を普通にとれる時代になったということである。

 これはある意味、世の中の「反対運動」の基盤を掘り崩すことかもしれない。

 実際、今回の件で「老害」「いらんことしやがって」と思われているのは、地元反対住民の方ではなかろうか。

 反対運動というのは、一面では「相手にされる」「尊重される(べき)」という世の中の共通意識で成り立っている。

 それが「あ、じゃあいいです。相手にするのがメンドくさいんで。そんなことやってられないんで」と見切られるようになれば、結局は反対運動のほうが悪者・愚か者と見られてしまうことになるだろう。

 

婚約指輪は「コスパが悪い」「貧困層への配慮がない」とならないのか

 読売新聞の「大手小町」の「発言小町」は、かなり高い頻度で面白い記事や発言・それへの反応を掲載してくれるメディアである。

 最近は、「婚約指輪が高すぎるとして彼女に割り勘を提案したら機嫌を損ねた」とする30代公務員男性の投稿が、とても波紋を広げたらしい。

 なんでも彼は「結婚式はコロナ禍だからしない代わりに、婚約指輪は欲しい」と彼女に言われて宝石店に行ったところ――

 2~3万円程度だと思っていたのに「安くて17万円」と知ってビックリしたらしい。

(⇒ 大手小町 2022年4月16日記事:「婚約指輪って本当に必要?」割り勘を提案した男性の投稿に驚きの声)

 
 これについては、(たぶん女性たちから)呆れた声が多数寄せられた模様。

 しかし私は男だからか、この男性の方がよりマトモな精神を持っていると思うのだ。

 だいたい「婚約指輪」である。「結婚指輪」とは別なのである。

 結婚指輪も買って、なおかつその前に婚約指輪も最低17万円出して買うというのは、ムダではないか。

 同じようなことに二重の出費をするものではないか。

 現代の若者は「コスパ」を重視するとか、そんなのをこれだけ言われて常識化しているというのに、これは典型的なコスパの悪さ――

 と言うより、ハッキリとムダ遣いを強いる「慣習」ではなかろうか。

 17万円と言えば、30代公務員の月額「手取り収入」にも匹敵しそうな額である。

 それは決して、バカにされるほど安くはない。

 昔は婚約指輪とは「給料の3ヶ月分」の値段が相場とされていたらしいが、これもまたハッキリ言えば、その男性の親のカネを当てにした相場であったようにも思える。

(婚約指輪なんて序の口で、まだまだ結婚指輪とか結婚式とかがあったのだ。)


 そして、もう一つ思うのが――

 これもまたこれだけ連日メディアで「貧困層の苦境」が報じられているというのに、

 最低17万円の婚約指輪も割り勘にしようとするなんて呆れたものだ、

 とする声が圧倒的だったらしいのは、いったいどういう現象かということだ。

 もちろん想定されるのは、この男性の発言に批判を書き込んだ人たちは、貧困層ではないということだろう。

 世の中には年収400万円台未満の人がむしろ多数派で、

 その人たちは17万円の出費(重ねて言うが、これは出費の序の口である)にたじろがないはずがないのだが――、

 そして彼らの相当数は実際に、婚約指輪を贈るなどという慣習を心の中で廃止していると思われるのだが――、

 どうも、そういう階層でない人たちが「婚約指輪を割り勘にするなんて」と書き込んでいるようだ。

 これもまた、社会の分断の一側面ではあるまいか。


 それにしても、もし最低17万円の婚約指輪を割り勘じゃなく買って贈るのがいまだに「常識」なのだとしたら、

 よく言われる「結婚はコスパが悪い」と若者は考えている、だから若者は結婚しなくなる、というのは完全に理に叶った筋道だろう。

 別に若者じゃなくても、結婚指輪に加えてこんな出費をしないといけないなどと思うと、結婚をためらうのは当然である。

 こんな「金食いモンスター」的な慣習を肯定する人や社会に付き合うほど、20代や30代の若者の多数に、そんな余裕はないはずである。

 しかしホント、貧困層の人たちは、こういう「論議」を見てどう思っているのだろうか……

 

巡洋艦モスクワ撃沈の海戦史的意味-「艦船は陸上砲台に勝てず」の再来

 4月14日、ロシア黒海艦隊の旗艦である巡洋艦『モスクワ』が沈没した。

 ウクライナ軍のネプチューン対艦ミサイル2発の命中を受け――無人攻撃機の攪乱?援護があったとも言われる――、大打撃を受けて後退・曳航中に力尽きたらしい。

 『モスクワ』は1983年就役なので、艦齢40年近くの老齢艦である。

 しかしその排水量は約12,500トン、全長は186メートル程度。

 これは世界から「戦艦」という艦種のなくなった現代において、空母を除けば最大級の艦と言える。

 それが撃沈され、しかもその名が「モスクワ」だというのは、今回のウクライナ戦争でロシアがまたまた被った大打撃・大失態の中でも記念碑的なものだろう。


 さて、対艦ミサイルで大国の軍艦が撃沈されたと言えば、何より真っ先に思い出すのはフォークランド紛争(1982年)で――

 このときアルゼンチン軍はシュペルエタンダール攻撃機から発射したフランス製対艦ミサイル「エグゾセ」1発により、イギリス海軍駆逐艦『シェフィールド』(排水量4,820トン、全長125メートル)の撃沈に成功した。

 これでエグゾセミサイルは一躍有名となり、今でもミサイル兵器の中で抜群の知名度を誇っている。

 しかしこれは、航空機による対艦攻撃という点では、第二次世界大戦の延長上にあったとも言える。

 それに対して今回のミサイルは、陸上から発射されたという相違がある。

 つまり、たとえ海軍も空軍もショボい質量しか備えられない小国だとしても、陸上配備の長射程のミサイルさえ持てば、大国の大艦を撃沈できるという実証がなされたわけだ。

 これは、

「軍艦は陸上砲台には勝てない。だからそういう撃ち合いをしてはならない」

という、帆船時代から第一次世界大戦までの海軍の「常識」「鉄則」の復活なのではなかろうか。

 
 我々日本人にとっては、第二次世界大戦での米軍の艦砲射撃の威力が非常に強く印象に残っており――

 むしろ「艦砲射撃されたらもう勝てない」という方がスタンダードな考え方になっているかもしれない。

 しかし長射程の陸上発射式対艦ミサイルの普及により、この法則は再び逆転を遂げることになりそうだ。

 もちろん現代の艦砲射撃は砲でなくミサイルで行われるが、どちらのミサイルも同程度の射程である場合、撃ち合って勝つのはやはり(すぐ移動でき、掩蔽も容易で壕にもすぐ退避できそうな)陸上発射式ミサイルではなかろうか。

 そうなるとやはり軍艦からのミサイル攻撃よりは、空母によって航空機を発進させ、その航空機にミサイルを発射させるべきだろう。

 つまりやはり海軍は、空母を持っていないと陸上攻撃の面でさえ非常に不利ということになる。

 空母のない艦隊は(すなわち第一次大戦以前と基本的に同レベルの艦隊は)、陸上ミサイル砲台には勝てない――

 この海戦における陸上優位の復古は、各大国(日本も含む)を、たとえ小なりと言えども空母戦力の保有・拡充に向かわせるのではないかと思う。

 そして一方、陸上発射式対艦ミサイルの需要は、世界中で急増するのではないかとも思う。