プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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天皇陛下も五輪に懸念-日本の国体はいつまでも幕府政治

 6月24日、宮内庁の西村泰彦長官は定例記者会見で、

 「天皇陛下はコロナ感染拡大を恐れ、オリンピック開催を懸念しておられる。と、私は拝察する」

 と、わざわざ発言した。

 あくまで天皇自身がそう口にしたというわけではなく、ただ自分がそう拝察しているだけ……

 とは言うものの、もちろん世間はそう思わない。

 天皇の心を「私はこう推測する」なんてことを本当に宮内庁長官が独断で発言したのなら、あり得ないほどの不祥事である。

 しかしこれを不祥事と評する人間は、ネット上でさえ一人もおらず――

 誰もが「これが天皇の(強い)真意なんだ、だからわざわざ宮内庁長官を通して言わせたんだ」と思っている。

 ありていに言えば、こういう発言をすることに天皇がOKやゴーサインどころか指示を出した、と思っている。


 もちろん現代日本においては、天皇の言葉や気持ちには政治的に一文の価値もない――というのが建前である。

 しかし現実には、それには最大級のニュースバリューがある。

 首相以下どんな政治家の発言よりも、巨大な影響力がある。

 それを自覚していない天皇陛下でないはずなのに、あえてこうする。

 まさに「やむにやまれぬ」気持ちがあるのだろうと、それこそ拝察するが……

 それはもう天皇としても、ここで何か言いたくなってたまらなくなるのは当然だろう。

 なんたって天皇は、今回のオリンピック・パラリンピックの名誉総裁であり開会宣言をする人である。

 そのオリパラが(世界的)コロナ感染大爆発の震源になるかもしれないと思えば、いても立ってもいられなくなるのが人として当たり前というものだ。

 あなたも私ももし同じ立場なら、そりゃ「これ、オレが開会宣言するんだぜ」と言いたくなろうというものだ。


 しかし、惜しむらくは……

 と言うかいささか不思議なのは、こんなことになったのが開会のちょうど一ヶ月前の今だ、という点である。

 ハッキリ言えば、これはもう遅きに失する。

 いくら天皇の発言(と見なしても構わないだろう)とはいえ、今から急転直下オリンピック中止にするのはまず手遅れではあるまいか。

 そうなったら天皇陛下、結局は「大丈夫かいな」と懸念しているのが全世界に知られた状態で開会宣言することになるのだが――

 自分自身も国民も、そのときどんな気持ちになるのか、拝察に忍びない気持ちになるではないか。


 それにしても思うのは、結局日本は現在に至るまでいまだに「幕府政治」なのだなあ、という感慨である。

 江戸幕府は黒船来航で倒れたが、今それに相当するのはむろん「コロナ下でのオリンピック開催」となる。

 江戸幕府が倒れた後は明治維新天皇親政になったはずだが、これも煎じ詰めれば「内閣幕府」とか「選挙幕府」と言っていいのではないかと思う。

(たぶん終戦までには、「藩閥幕府」「軍部幕府」とも呼べる時期があったことになるだろう。) 


 それが終戦後は、わずかな例外期を除いて「自民党幕府」の体制が続いてきた。

 だがまたその自民党幕府も、黒船来航ならぬコロナ&オリンピック失政で倒壊するのかもしれない。

 そうなったとき国民の信望や「おいたわしや」感情を集めるのは、またしても(ついに沈黙を破って懸念を表明しておいた)天皇というわけだ。

 何となく源頼朝以来、日本はこんなことを永久運動のごとく繰り返しているような気がしないでもない。

 幕末には「葵(徳川家)は枯れて菊が咲く」と世間で言われたようだが――

 それが今度は「自民が枯れて菊が咲く」になるのだろうか。

 
 しかしオリパラでコロナ大爆発が起きないとしても、天皇家には(それよりさらに深刻なほどの)懸案が待っている。

 言わずと知れた「眞子さま結婚問題」であるが……

 これもまた宮内庁長官天皇の真意を「拝察」して伝えることになるのかどうか、みんな結構気になるのではなかろうか。

 

タンピン・N放・シラケ世代-北東アジア三国若者「無気力同盟」

 いま中国の若者の間で、「タンピン」が流行っているそうである。

 タンピンとは「だらっと寝そべる」の意で、仕事せず寝そべって何も求めない、マンションや車も買わず、結婚もせず、消費もしないというライフスタイルのこと――

 らしい。

(⇒ デイリー新潮 2021年6月22日記事:急速に「日本化」する中国の若者 「タンピン(だらっと寝そべる)」が流行語になる背景)

 一方で韓国の若者は、「N放世代」と言われているらしい。

 N個すなわち無数個のもの――就職、結婚、消費財の購入など――を放棄・諦めた世代のことだ。

 これで日本人がたちどころに思い出すのは、「シラケ世代」という言葉だろう。

 日本人なら誰でも聞いたことがあり、しかもそれは「今の若者」を指すのだと、何となく感じる言葉である。

 しかし調べてみると何とこの言葉、1950年から64年に生まれた人たちを指すらしい。

 若者と言っても大昔の若者、それどころか今の日本でトップを占めている年代の人たちである。

 ここでまた思い出すのは、いつの時代も若者は「今どきの若い者は」と言われてきた、というあの話だろう。

 そう、古代エジプトの遺跡から象形文字でそう書かれた文章が出てきた、とかいうあの話である。

 これはきっと、人類が続く限り永遠に繰り返される世代論ではなかろうか。

 そして我々が知らないだけで、こんな話はヨーロッパやアフリカの諸国でも、アマゾンの密林の部族の中でも、延々と続いてきた伝統ではないかと思われる。


 しかし一方でまた思うのが、

 「やっぱり日本・韓国・中国の北東アジア三国の国民は、似た者同士である」

 ということだ。

 近年の貧富の格差もその固定化も、この三国はけっこう似たような軌跡を描いていると言っても良いのではないか。

 そしてそれへの国民の反応もまた、けっこう共通しているのではないか。

 なるほど今の日本のメディアは、日本の若者がシラケ世代だとは伝えない。

 しかしメディアが採り上げる若き有名人以外の同世代の人たちは、タンピンやN放と似たような心持ちで日々を生きているのではないかと思われる。

 だいたい「出世したい」と野望を表明するのが「悪」だという道徳は、この「金持ちスゴイ・金儲け自慢」記事がネットに氾濫する現代日本にあってさえ、一般世間に完全に定着しているのではないか。

 「自分はビッグになりたい」と冗談以外で口にするなんて、もってのほかというのが普通の道徳観ではあるまいか。

 
 そしてこれは、お互いが嫌い合っているということになっているこの三国について、「連帯」の希望を持たせることでもある。

 中国のタンピンも韓国のN放も現代日本のシラケ世代も、同類であり仲間である。

 彼らの敵は互いの国民ではなく、自国民の中の富裕層である――

 と言った方が、はるかに正鵠を射ている気がする。

 この三国の非富裕層の無力感・無気力観・達観が、いわば「無気力同盟」みたいなものになっていくか、それが新時代の革命運動になっていくのか……

 プロレスで「無気力試合」というのがたいてい何かの前兆であることを思うと、興味を引かれるところである。

 

NBC局「五輪が始まれば全て忘れてみんな楽しむ」-見所は「感動持続期間」

 今やすっかり「反五輪」に舵を切った東スポは連日、反五輪記事を掲載している。

 今度は東京オリンピックの放映権を持つアメリカの放送局NBCのジェフ・シェルCEOが、オンライン会議で

「他のオリンピックでも開催までは色んな心配が言われてたけど、

 いざオリンピックが始まればみんな忘れてそれを楽しむ。

 今回の東京オリンピックも同じ」

 と発言したそうだ。

(⇒ 東スポweb 2021年6月15日記事:【東京五輪】最大スポンサーのNBCトップが日本国民に放言「誰もがすべて忘れて楽しむ」)

 これは、日本の自民党政権

 「いざオリンピックが始まれば、国民はそれを熱烈応援して楽しむ。

  自民党への支持率も急回復する」

 と当て込んでいる――「祈っている」と言った方がいいか――のと、全く軌を一にしている。

 これが当たっているかどうか、本当に私はそれこそ楽しみである。

 オリンピック自体より、そっちの方が楽しみである。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com


 さて、このNBCトップや自民党政権の考えなり発言なりは、「日本国民をナメている」ものだろうか。

 おそらく今の日本国民の半分くらいは五輪開催反対、そうでなくても開催危惧しているだろうが――

 それでもやっぱり、「そのナメた考えが正解なのではないか」と感じるのではなかろうか。

 別に予言者でなくても、オリンピックが開催されたら(少なくとも)テレビがどうなるかはわかる。

 テレビは、そしてネット記事も、(特に日本人)選手の活躍を連日伝え、連日の感動絵巻が繰り広げられる。

 コメンテーターも、それに水を差すような発言は空気を読んで自主的に控える。

 たとえ何か言ったとしても、必ずや「選手に罪はないけれども」と前置きをする。

 そしてそういう感動絵巻に、世間は乗せられてしまうだろう。

 そういう近未来図が思い浮かばない人が、果たして本当にいるだろうか。


 しかしそれも、17日間だけのことである。

 祭りの後には日常が来て、その日常のテレビはやっぱり連日の感染状況を伝えるに違いない。

 オリンピック期間中、日本は確かに感動の洪水に洗われると思われる。    

 その感動持続期間がどのくらいのものか、これこそが今回のオリンピックの見所である。

 そして私には、とてもそれが年末まで続くとは思えないのだが……