プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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子どもへのワクチン接種に抗議殺到-勉強する理由は「将来電話を取らないでよくなるため」

 京都府伊根町は、12歳から15歳までの子どもへのワクチン接種を始めた。

 すると6月7日、町コールセンターには接種反対電話が(全て町外から)殺到し、センターはパンクした。

 電話の中には「人殺し」「殺すぞ」など悪質なものもあったらしい。

(⇒ 京都新聞 2021年6月7日記事:「子どもへのワクチン接種やめろ」電話殺到 12~15歳に接種の町に「殺すぞ」脅迫も、業務に支障)

 このニュースを聞いた人のほぼ全員が、反対電話をした人を断罪するはずである。

 バカというか暇人というか犯罪者というか、そういう目で見るはずである。

 そしてまた、「やっぱり電話は迷惑ツール」との思いを新たにするかもしれない。

 そういう話を屋上屋を重ねるのも何なので、ここではこういうニュースが教育にもたらす影響を書いてみよう。


 あなたが親なら、子どもに「何のために勉強するのか」と言われることもあるだろう。

 あるいは、自分自身が子どもの頃にそんなことを思っていたこともあるだろう。

 そしてその答えが、こういうニュースの中にある。

 すなわち、「こんな電話を取らなくていい身分になるために勉強するのだ」と――


 いやしくも親であれば、わが子をこんな電話に晒したいとは絶対に思うまい。

 そしていやしくも人間であれば、こういう電話を自分が取りたいとも絶対に思うまい。

 だから、勉強とは何のためにするか……

 まさに、将来こういう電話を取らなくて済むようにするためである。

 通り一遍の勉強をして、通り一遍の仕事に就けば、こういう電話を取ってしまうことに必ずなるからである。

(苦情電話が20~30分間続くなんてことは、たいていの人が経験しているだろう。)


 そして付け加えるならば、「なぜ英語を勉強するか」と言えば、

 「こんな日本で働かなくてもいいという選択肢を手に入れるため」

 でもあるだろう。

 私もよく知らないが、よその国ではこういう電話をガチャ切りしてもいいところも結構あるのではあるまいか。

 (イギリス人がこういう電話に付き合っているとは、あまり思えないのだが……)


 それにしてもこの「苦情電話」というもの、

 実は密かに日本人の「日本嫌い」「仕事嫌い」「働いたら負け」「労働意欲低下」の、

 主要要因になっているのではないかと思わずにいられないのだが……

 

米政府UFO報告書公表間近-宇宙人遭遇報告の激減について

 今月25日、アメリ連邦議会アメリカ政府からの「UFO報告書」が提出される。

 その報告書では、UFOが宇宙人の乗り物である証拠もないが、しかし正体不明なのでその可能性も否定はしきれないという、ある意味予想どおりというか、今までのものと代わり映えのない内容が書かれているようだ。

(⇒ AFPニュース 2021年6月5日記事:米UFO報告書、宇宙人の「証拠なし」と結論か 正体は依然不明)

 今、UFO話が改めてアツい。

 かつて日本のテレビにおいて、UFO番組は目玉コンテンツの一つに数えても良かった。

 しかし、2000年代になってからだろうか……

 あの1999年のノストラダムスの大予言が(やっぱり)外れたのが影響したのかわからないが、
 
 UFO番組はほとんど跡を絶った。

 それが今、テレビ特番復活とまでは行かなくても「盛り返して」いるのは、むろん米海軍機の撮影した一連のUFO動画が公表されたからである。

 だがしかし、それでも今回の盛り上がりには欠けているものがある。

 何が欠けているかと言えば、肝心の「宇宙人」が、である。

 
 UFOファンの皆さんなら、当然思い出せるだろう――

 1950年代から80年代にかけて、実に「多種多様な宇宙人が地球を訪れていた」ことを。

 あの宇宙人訪問ラッシュは、いったいどうしてしまったのだろう。

 特に2000年代に入ってから、「宇宙人の訪問・遭遇」話はめっきり減った。

 たぶんUFOファンの人でも、2000年代以降のそういう話はほとんど思い出せないはずである。

 思い出せたとしても、かつての「宇宙人訪問ブーム」時代の事例数とは、比べものにならないほど少数しか思い出せないはずである。


 いまや宇宙人と聞いて人が思いつくのは、あの「グレイ」タイプの一種類である。

 しかもそれは謎や恐怖の対象と言うより、テレビのCMに出てくるようなポップカルチャーのキャラクターでしかなくなっている。

 あの、かつての豊饒なる「その他宇宙人」たち――

 「悪臭を放つ3メートルの宇宙人

 「ストッキングを奪った、小柄な中国人みたいな宇宙人」  
 「ビール缶型宇宙人」(これは「人」ではない、と思うが……)

 「タバコに火を付けたら驚いて逃げた、妖精型宇宙人」

 「老人に水をもらった御礼に、塩抜きのクッキーをくれた宇宙人」

 「四角い水槽みたいなヘルメットをかぶった宇宙人」

 「左右非対称で右腕だけが異様に盛り上がった、三人組の宇宙人」

 彼らはどこへ行ってしまったのか。

 彼らにとっての地球訪問ブームは、とっくに終わってしまったのか。

 
 今回の米政府のUFO報告書が「UFOが宇宙人に関連する証拠はない」としているらしいことは、無理もない。

 宇宙人とUFOとの結びつきは、1970年代あたりに比べれば、比べものにならないほど弱い。

 いくら戦闘機のカメラやレーダーにUFOが映ろうと、むろんそれは宇宙人が存在する証拠にならない。

 証拠になるのは、UFOと宇宙人が一緒に撮影されたときだけである。

 しかし現代、まさにそういう組み合わせがほとんど報告されなくなっている。

 だけれどもUFO単体の撮影は真面目な注目を集めている、という状況だ。


 そう――

 上記引用記事では「宇宙人説が改めて過熱するとみられる」と結んであるが、

 宇宙人説が成り立つには、宇宙人遭遇話がもっと増えなければならない。

 それなしで宇宙人説が優位に立つのは無理である。

 しかし本当に、なぜその肝心の宇宙人遭遇話は、かくも激減しているのだろうか……

 

大坂なおみ「年収60億円」を格差・貧困に苦しむ人はどう思っているのか?

 テニスの大坂なおみ(23歳)が、全仏オープン大会で記者会見を拒否したことが話題になっている。

 しかし、ここで書くのはそのことではなく――

 彼女が今年のスポーツ長者ランキングで、世界中の女子スポーツ選手でトップの「年収60億円」を稼いでいる、ということである。

 これは別に彼女に限ったことではなく、同じ男子テニス選手の錦織圭は年収29億円であるなど、

 スポーツ選手が1年で何億円、それどころか1試合出場で何億円・何十億円を得るというのは、「ごく普通の話」となっている。

 そして私は、こういう話をニュースで見るたび聞くたびに思うことがある。

 それは、こういう話を、世の「格差・貧困に苦しむ人たち」はどう感じているのだろうか、という疑問である。


 格差と貧困は、日本に限らず世界的な大問題(もしかすると人類最大の問題)であるはずだ。

 日本だけでも、それに苦しんだり憤っている人は、何百万人単位に及ぶはずである。

 いったいそういう人たちは、このスポーツ長者(スポーツ貴族)や芸能長者(芸能貴族)らのことを、どう思って聞いているのだろう。

 私は「経営者長者(経営者貴族)」が批判を受けているのは見聞きしたことがあり、

 いま「富の偏在」が世界的問題になっていることも、あなたと同じく知らないわけがない。

 しかしなぜか、絶えて一度も見聞きしたことがないのである――

 スポーツ長者と芸能長者に対する批判は。


 私は幸い、貧困層ではない。(もちろんこれは、ただの偶然である)

 しかしもし自分が貧困層であれば、

 スポーツ選手や芸能人が何億円稼いだとかいう話をこれほど毎日のように見聞きしていれば、

 どれだけ鬱々とした絶望感・挫折感・敗北感に苛まれながら毎日を送ることだろうかと、想像せずにはいられない。

 世の貧困に苦しんでいるはずの人たちは、そんなことはないのであろうか。

 そんな声はネットのコメント欄でさえ見かけないので、(私にはそうは思えないのだが)やっぱり真にそんなことはないのだろうか。

 これは、ごく素朴な疑問である――


 この疑問に対して「当然だね」「しょうがないね」「世の中そんなもんだよね」「実力だよね」と答えるなら、

 それはもう格差や貧困は全く問題でないことになる。

 是正などする必要はなく、もしあなたが格差や貧困に苦しんでいるのなら、それはただあなたが能がないか運がないかというだけのことになる。

 ここのところ、特に共産党あたりには詳しく聞いてみたいのは私だけではないはずだ。

 というか、日本人全員に聞いてみたい気がする。


 しかしこれ、どうも日本に限った話ではないように見える。

 アメリカやブラジルの貧困層の人たちは、自分がこれだけ貧乏なのに、

 これだけ毎日毎日スポーツ選手が何億稼いだという話を聞いていれば、

 それは奮発して銃でも買って人をバンバン撃ち殺してから自分も死のう、

 という流れになるのは特に不自然なことでもないと思われるのだが、

 どうもそういう流れはないようである。

 それどころかスポーツ長者は、憧れであり目標であり誇りでさえあるようである。

 これは全世界的に、民主主義や平等主義が民衆の支持を失って(むしろバカにされて)、新たな貴族制を歓呼して受け入れる状態になっているということだろうか……