プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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少子化対策の第一手、生殖可能年齢の延長

 国民は早婚を望まず忌避し、蔑視する。

 自分や子どもが大学に行かない人生も前提としない。

 そしてまた、少なくともある程度以上の規模の企業は、その採用候補者が大卒であることを当然の前提とする。

(その仕事内容が大卒であることを要求する場合は非常に少ないと、みんなわかってはいるのだが。)

 いやそれどころか、「ある程度以上のランク」の大学卒業生を選んでいることは周知の秘密と言っていいだろう。

 加えて世の雰囲気は(そして経済情勢は)、女性が出産後も働きに出るのを当然のこととしている。

 これらから見れば、婚期が遅くなり出産が遅れ、しかも少ししか産まないこと――

 子どもをどこかに預けずにおれないことは、全く当然の成り行きに思える。

 また、以前の記事でも書いたことだが根本的な問題として――

 恋愛・結婚・子育ては人間の多種多様な「趣味」「嗜好」の一つとなり、それを選択する動機も圧力も弱まる一方となっている。

(人によっては“贅沢”なことと見なしてもいよう。)


 このような状況でそれでも少子化を阻止・反転させようとすれば、まず(生殖の意志のある人たちの)「生殖可能年齢を上げること・生殖可能期間を広げること」を考えるべきではないか?

 私はこの問題を、社会的政策などで解決することは非常に難しいと思う。

 率直に言えば、そういう社会的投資は無駄に終わると思っている。 

 それらのカネは、高齢受胎と高齢出産を安全・簡単にする医療技術への投資に回すべきだと思う。

(むろん、子どもが欲しいのに授からない人たちのための不妊治療技術にもだ。)

 「早婚」や「大学に行く必要はないこと」をアピールする広報投資に振り向ける手もあるが、それで国民の雰囲気が変わるとはとても見込めないからである。


 もし四十歳を超えても“安全・容易”に子を妊娠し出産できるようになれば、その年代で出産する人は確実に増えるだろう。

 女性の結婚適齢期が三十歳前後になったことを我々は普通に受け入れているのだから――

 女性が四十代・五十代で出産するのが普通になっても、我々はそれを現実として特に抵抗もなく、「そんなもの」として受け入れるだけだ。

(加えて言えば、この年代は「子どもなんていらん」と思っていた人が心変わりしそうな時期でもある。

 また、さすがに経済的には余裕が出そうな年代でもある。この年代で低所得なら、確かにその人にはどんな少子化対策も無効だろう。)


 なお、この“安全”の中には、高齢出産しても障害児やダウン症児は生まれてこない、という意味が含まれる。

 それを事前に診断でき、もしそうなるとわかったら中絶できる、という意味も含まれる。

 むろんこれは、いま存在する障害者団体や障害者個人から猛烈な反対を引き起こすだろう。

 しかし当然のことながら、もしそういうことができさえすれば、みんなそれを利用するに違いない。

(実際のところ、ダウン症などの怖れによって子を産むことを断念している高齢夫婦はかなり多いのではないか?)


 そういうことをしないと心に決めさせるのは、ただ宗教心あるのみである。そして日本人はおそらく、世界で最も宗教心の薄い部類に入る。

 きっとあなたもあなたの子も、たとえ口では何と言おうと「障害者・ダウン症児を産まない」ことが選択できればそれを選択するはずである。

 そして私は、そういう時代がもうすぐそこに来ていると思う。

 この科学技術には絶対確実に需要があり、しかも人々の切なる願いでもあるはずだ。どんな反対があろうとも、いずれ必ず実用化されるに決まっている。


 しかしながら、子どもの数を増やすには、ただ生殖可能期間を延ばすだけでは充分でない。

 養育にかかるコスト(主に、いい大学に行かせるための教育費)を思えば、たとえ死ぬまで子を産めるようになってもやっぱり一人・二人しか子を産まないことは充分あり得る。 

 いやそもそも何度も言うように、恋愛・結婚・子育てを「わずらわしいもの」「負担になるもの」と忌避する人さえ多い――

 しかも“若者の恋愛離れ”としばしばネットに上がるように、その数は男女とも増えていく傾向にある。

 どうやらこの解決策は、やはり政策ではなく科学技術に求めた方がよいようだ。