プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

社会、ニュース、歴史、その他について日々思うことを書いていきます。【プロレス・格闘技編】はリンクからどうぞ。

ススキノ首切断殺人事件初公判-子ガチャ大失敗の戦慄と少子化の必然

 昨年7月、札幌市ススキノで62歳の男性が殺害のうえ首を切断されたという猟奇事件は、実行犯の娘の父親が精神科医だったということで、特に大きな世間の注目を集めた。

 この娘が被害者の首を自宅に持ち帰り、その父と母が娘の犯罪を「隠した」「助けた」ということになったのだが――

 家族3人のうち、まず母親が6月4日に札幌地裁で初公判を迎えることとなった。

 そこで明かされたこの家族の内情は、「出るわ出るわ」と思わないのがおかしいほど、異常のオンパレードだったようだ。

(⇒ NEWSポストセブン 2024年6月4日記事:《ススキノ・ホテル殺人》初公判で判明した「瑠奈ファースト」な一家の歪み「母親が書いた奴隷誓約書」「父親はドライバーさん」)

(⇒ NEWSポストセブン 2024年6月4日記事:【絶望の浴室】瑠奈被告(30)が「おじさんの頭持って帰ってきた」…頭部を見た母は「この世の地獄がここにある」 ススキノ事件初公判)


 その異常さは、上記の引用記事を読めば嫌になるほど書いてあるが……

 ここで同じく嫌になるほど思うのは、「親ガチャあれば子ガチャあり」という言葉である。

 親ガチャ失敗があるのなら、もちろん子ガチャ失敗があるということである。

 そしてこの「子ガチャ失敗」という恐れは、現実に日本の少子化にある程度――あるいは、かなりの程度かもしれない――の影響を及ぼしているというのは、そんなに間違っているとは思わない。

 いったい自分が子どもを儲けたらどんな子どもになるだろう、ということについて、今の日本人は期待やワクワク感より不安感の方が強いのが普通ではあるまいか。

 いや、その方がマトモと言えるのではないか。

 なにせ日々のニュースでは、「子ガチャ失敗例」が盛りだくさんである。

 今回の事件ほどヒドいのも珍しいのは珍しいが、極論すれば現代ニュースの9割は、子ガチャ失敗例で構成されていると言っても決して過言ではないだろう。

 自分の子どもがどんな子どもになるか、どんな異常性質を持った子どもとして生まれてくるかは、それこそ親ガチャと全く同様、自分の力ではどうにもできない事柄である。
 
 そう思えば、結婚して子どもを持つなどとても楽しみとは思えない、と考えるのがむしろまっとうな人間というものではないか。

 自分の子どもが子ガチャ失敗例になるかもしれない、

 自分の人生にこんなのが湧いて出るかもしれない、

 それは自分の力ではどうにもならず、運に任せるしかない……

 などと恐れを抱くのは、現代人として当然の心持ちだろう。

 逆に子どもを持つのに期待や楽しみを予感するなんて、ノーテンキだと指弾されてもおかしくはないくらいだ。

 この子ガチャ失敗への恐怖感は、親ガチャ失敗の絶望失望感よりも、現実に社会にずっと大きな影響を(あえて言えば少子化という「実害」を)及ぼしていると思う。

 たとえわずかの確率であろうとも、こんなハズレくじの子を引き当てるような危険極まる賭けにあえて手を出そうとしない人々が増えるのは、むしろ健全な社会ではないか……

 と思える時代は、もうすでに来ているのだ。