5月25日、長野県中野市の市議会議長の長男(31歳)が、散歩中の女性2人をナイフで殺害した後、駆け付けた男性警察官2名も(パトカーに乗った状態で)猟銃で殺害した。
彼は自宅に立てこもったが、自分の母親は逃がし(または母親は逃げ出し)――父の市議会議長はたまたま不在だった――、警察に包囲された翌朝に逮捕された。
(投降した、わけでもなかったらしい。)
当然ながら、父の市議会議長は辞表を出した。
この事件そのものについて、詳しくは語るまい。
語るべきは、こういうニュースがあるたびに世間の人々は「子ガチャ失敗」の恐怖をまざまざと感じる、ということについてである。
今回の犯人の31歳長男は、例によって引きこもり気味だったらしい。
しかし報道を見る限り両親は、できる限りの心配りと手配をしていたように思える。
そしてネット上の書き込みも、通常なら親が市議会議員しかも議長ともなればバッシング一色となるところだが、今回に限ってはほとんど同情論ばかりである。
いや、思えば少し前から、「犯人の親」へのバッシングは急速に下火になってきたように感じる。
つまり世の中は、ようやくわかってきたのである――
こんなことをしでかす人間が出てくるのは「親のしつけが悪い」からではなく、不幸にも子ガチャに失敗したからだということに。
子が引きこもりになるのも殺人犯になるのも変質者になるのも、それはしつけではどうにもならない不可抗力であることに。
(⇒ 2023年2月3日記事:回転寿司ぺろぺろ迷惑動画:「子ガチャ」リスクも少子化の一因だろう)
(⇒ 2023年3月2日記事:子ガチャはずれクジ哀歌-埼玉中学校侵入・無差別殺人未遂事件)
メディアでは、そして若者の間では、「親ガチャ」失敗というのが盛んに言われているらしい。
しかし本当に日本社会に大きな影響をもたらしているのは、むしろ「子ガチャ」失敗リスクの方ではないかと思う。
自分の子どもがこの手の「失敗作」になるかもしれない、しかもそれは不可知な不可抗力であると思えば――「思えば」ではなく、それは真実なのだが――、現代人が家庭だの子どもを持つことにためらいを感じるのは当然である。
リスク管理意識のある人、思慮深い人ほど、その傾向は強いのもまた当然だろう。
本物の宝くじというのは、当たることはほとんどないとわかっていても、外れたからと言ってダメージもペナルティもない。(購入費用は別として)
しかし子ガチャくじというのは当たろうとしても「自分が何をやっても無駄」かもしれず、しかも外れたら自分も他人も甚大なダメージを食らう。
その負担とペナルティの酷さは、本物の宝くじなど比較にならないほど大きい。
この「自分のせいでもないのに自分の負担が増える、自分が酷い目に遭う」というリスクは、今回のようなニュースが頻繁に流れるような現代社会にあって、人々に「子どもを持つ」ことを敬遠させるには十分な理由になると私は思う。
たぶんこんなリスクを負うまいとすれば、具体的な対策は「身元調査の徹底」ということになるだろう。
結婚や交際に当たり相手の身元調査する、というのは今はまだ「絶対悪」である。
しかしほどなく、それが当然のこととされるのは予想がつく。
依頼先が興信所(探偵事務所)か弁護士(法律事務所)か、それとも専門業者が誕生するのかはわからないが――
相手方の家族親族の犯罪歴、遺伝病・精神病・引きこもりの有無、周囲の評判などを調査するサービスが公然と出現するのは、刻々と時間の問題になっていると思われる。
そんなことをされたくないと思えば、やはり結婚も子作りもしないに限るということになる。
こんなところにもやはり、未婚率や出生率を低くする要素しかないと言うべきなのである。