プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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イラン大統領・外相らヘリ墜落死-「ヘリコプターは落ちるもの」論

 5月20日、イラン国営メディアは、前日の19日に乗機ヘリの墜落が伝えられた同国大統領ライシ氏及び同乗のアブドラヒアン外相ら全員が死亡したことを伝えた。

 これは有名な話だが、イランの最高指導者は大統領ではなく宗教家である(現在はハメネイ師)。

 よってこれは国家ナンバーツーの死であり、アメリカ大統領やフランス大統領が墜落死したということほどの衝撃ではない。

 が、やはり、イランほどの大国の大統領と外相が同時に遭難死するというのは、そうは言ってもショッキングな出来事である。

 この悲劇の中で唯一の救いと言えば、これが純然たる事故によるもので、国内や国外からのテロ攻撃ではなさそうだということだろう。

 イスラエルにせよ反シーア派イスラム過激派にせよ、いまイラン大統領を暗殺する理由は特にないはずだ。


 さて、ヘリ墜落による国家要人の死亡と言えば、つい1年ほど前の2023年1月18日にはウクライナの首都キーウ近郊で、当時の内務大臣ら乗員18人全員が墜落死した事件があった。

(⇒ 2023年1月18日記事:ヘリ墜落、ウクライナ内相ら全員死亡-「ヘリに固まって移動」は危なくないのか)


 その時と全く同じ感想を、書かざるを得ないのだが――

 どうも人は国家トップレベルの人たちであっても、「1機のヘリに要人が乗り合わせて飛ぶ」ということをなかなか止められないようである。

 私のみならず映画好き(特にアクション映画好き)の人は、全員そう思っているだろうが……

 「ヘリとは墜ちるもの、墜とされるもの」

 というイメージが非常に強い。

 いったいアクション映画の中で、ヘリが1機も墜ちない映画を探す方が難しいくらいではないか。

 そういう人たちから見れば、一国の大統領がヘリに乗ること自体が危険極まることに思えるはずである。

 ましてや大統領と他の大臣が一緒のヘリに乗り合わせるなんて、ほとんど狂気の沙汰であり大いなる危機管理意識の欠如に思えるはずである。
 
 しかし、そんなこと世界の誰でも思っていることのはずなのに、なぜかいっこうに(?)要人がヘリに乗り合わせる習慣というのは治らないようだ。


 いや、気持ちはわかるのである。

 世界の民間企業、特に世界的大企業の中には、社長CEOと重役らが1機のヘリに乗り合わせて各地を飛び回っている例が、たぶんいくつもあるのだろう。

 おそらくそれは、社長と重役らが1台の車に乗って高速道路を走る日本の中小企業のように、ごく日常的で当たり前の感覚なのだ。

 だがしかし、その日常の中にこそ危険は潜む。

 交通事故はしばしば、いかにも事故の起こりそうな個所ではなく――

 どうやったらこんなところで事故が起きるのかというような、見通しの良い直線路で起こっているものである。


 これはあくまで推測なのだが、たぶん大統領のような要人中の要人の周りの人たちは、「大統領と他の要人は一つの乗り物に乗ってくれるな、大統領は一人で乗ってくれ」と思っているはずである。

 しかしたぶん大統領みたいな人は、随員に囲まれ従われたいのである。

 乗客が自分一人きりでヘリに乗るなんていうのは、たぶん屈辱であり非礼なのである。

 あるいはまた、自分と一蓮托生する人がいないというのは、それこそ謀反の恐れを抱かせるものなのである。

 この心理を克服しない限り、また世界のどこかで「大統領プラスその他の要人」がヘリでまとめて墜落死するという事件は、繰り返されるのだろう……