現代の真の流行語と言えば「エビデンス」(証拠、論拠)である。
いまやもう、猫も杓子もエビデンスだと言っても過言ではない。
そんな風潮や流行に反発を覚えるのは人の常で、つい最近も痛烈な批判記事がネットに掲示された。
(⇒ ダイヤモンドオンライン 2023年9月26日記事:害毒をまき散らす「エビデンスおじさん」が管理職失格だと言い切れる理由)
さて、エビデンスという言葉が害毒を撒き散らしている――企業や団体の活動をむしろ阻害している――とするなら、私が思うその同類は「費用対効果」である。
以前の記事にも書いたが、エビデンスも費用対効果も、一言で言って何かのアイデア・プランに「ケチをつける」「却下する」口実に使われているのが実態ではあるまいか。
tairanaritoshi-2.hatenablog.com
そして、何かのアイデア・プランのエビデンスを集めたり費用対効果を算出したりするのは、ものすごい労力である。
本当にそんなことをしていたら、あなたはきっと仕事の全時間をそれに投入し、さらに毎日深夜まで残業し、それでもなお終わらないだろう。
これは逆に言うと、世の中で実際に「エビデンスがちゃんと示されている」「費用対効果が説得力をもって算出されている」なんて社内評価を受けている資料というのは、一言で言って「作りごと」だということを示しているのではあるまいか。
もちろんそれは、最初から「採算が取れ、その論拠もちゃんとある」ということを「初めから決めてかかって」作成している資料だということだ。
いや、いったい普通の人間たるもの、そうでなければどうして相当の労力を使って資料など作れようか(笑)
というより、初めから「やる」と結論の決まっているプランの資料を作ることこそ、世のプラン作成労働者の通常業務なのではないか。
そして私は思うのだが、あなたは次のことについてどう感じるだろう。
●アレクサンドロス大王に、ペルシア東征が成功するエビデンスを示せと言う。
●昔の中国に、日本の侵攻に抵抗することの費用対効果を示せと言う。
●創業時のイーロン・マスクに、あなたの事業が成功することのエビデンスと(我々の出資の)費用対効果を示せと言う。
私は、アレクサンドロス大王はそんなエビデンスは示せないと思う。
示したとしても、あなたは(たぶん万人が)納得しないと思う。
いや、何よりアレクサンドロス大王は鼻で笑うと思う。
こんな例示はいくらでも続けられそうだが、きっとあなたはどんなエビデンスを示されても全て信じないのではなかろうか。
エビデンスや費用対効果って、そんなもんではなかろうか。
そしてもう一つ、極め付きの質問がある。それは、
●あなたが会社に(所属組織に)貢献しているというエビデンスを示してください。
会社があなたに支払う報酬に費用対効果があるかどうか、示してください。
というものである。
さあ、あなたはこれを示せるだろうか。
あなたが何を示しても、他人には説得力がない――と、感じないでいられるだろうか。
仮に他人が納得したとて、それが厳密な検算とかによるものではないのは明らかである。
では何によって納得するかと言えば、それは「印象」または「そんなものかという感想」だろう。
はたして任天堂がファミコンを発売したとき(開発着手したとき)、エビデンスや費用対効果を厳密に社内へ示していたか。
私はそんなことはないし、できもしないと思うものである。
もしそれを厳密に要求すれば、全ての案件は却下されるだろうと思うものである。
そしてもちろんあなたは――あなただけではないが――自分の有用性のエビデンスも費用対効果も示せず、社会的に撃沈されるというわけだ……