プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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桑名市「上げ馬神事」に動物虐待批判殺到-「伝統は大事ではない」論

 5月4日と5日に、三重県桑名市の多度神社で700年続くという「上げ馬神事」が行われた。
 
 それは青年が馬に乗って約2mの急な土壁を乗り越えることにチャレンジし、その回数で豊作・吉凶を占うものらしい。
 
 それは三重県の無形民俗文化財にも指定されており、現場写真を見る限り大勢の観客が集って大盛況のようである。

 ところが、馬たちが転倒したり興奮して暴れまわる姿の動画がSNSで拡散し、うち1頭は安楽死させられたことから、動物虐待だと批判が殺到しているという。

(⇒ Smart FLASH 2023年5月11日記事:1頭が安楽死の「上げ馬神事」に集まる批判「命を使い捨てにするな」美談に仕立てる地元メディアの姿勢にも疑問が)


 最近とみに、神事や祭りでの「動物虐待行為」がニュースになっている。
 
 カエルを串刺しにして神前に供えるとか、ウサギを追い回すとかである。

 私はこういう「動物を使う」伝統なり神事なりというのは、全て廃止にしてよいと思う。

 いやに簡単に言うではないかと思われるだろうが、根本中の根本の話として――

 そもそもみんな、神様の実在を信じてないでしょ?というのを真っ先に思うのである(笑)

 神の存在を信じてないのに動物を神の犠牲や観覧に供するなんて、もちろん無意味なことである。

 それはもう、100%純粋に人間向けのアトラクションと化している。

 それを動物虐待の汚名や批判を浴びてなお強行するというのは、実にメンドクサイことではないか。

 そういうメンドクサイことは、やめてしまえばいいのである。

 そして、伝統だろうが無形文化財だろうが何だろうが、いったんなくなってしまえば誰も残念無念に思いはしない。

 当座は思う人がいても、やがて速やかにそんな感情は世の中からなくなっていく。

 江戸時代に行われていた神事や行事や祭りで、今は完全に消滅したものなんていくらでもあるだろうが――

 だからと言って現代人がそれを心底から嘆くなんてことは、絶対にない。

 そんな人は、一人もいない。

 だんじり祭りねぶた祭りも、なくなってしまえば別に嘆かれはしないのだ。

 伝統なんてそんなもん、世の中そんなもんなのだ。

 
 そして私は、前から思っているのだが――

 近年、神事での動物虐待がやたらニュースになっている(人々の感性に引っ掛かっている)ことは、

 いずれ近いうち「動物園」も「ペットを飼うこと」も、非人道的行為であり「人間が動物を勝手にオモチャにする行為」とみなされる時代が来る予兆だと思う。

tairanaritoshi-2.hatenablog.com

 
 しかしそれでも、イスラム圏やヒンドゥー圏で大量の動物を殺害する「祭り」があることについては、日本の「動物虐待反対者」たちは激しい非難を浴びせない(浴びせるのが当然のはずだが――)と思われる。

 文化や宗教が違えば(それがイスラム教圏であれば特に)、動物を大量屠殺するのも仕方ない――

 というのは、それでいいんすかと思わないわけにはいかないのだが…… 

tairanaritoshi-2.hatenablog.com