先日の記事では、「20代独身男性の4割が今までデート未経験」というニュースについて書いた。
そしてデートと言えば、常に「問題」になるのがワリカン問題である。
すなわちデート代は男女がワリカンにすべきか、男が全部払うべきかという問題だ。
これについて、最近の男女は自発的にワリカンにするのが普通――と言われる。
しかし一方、親世代ではワリカンなんて考えられず全額男が払うのが当然だ、そうでないなんてあり得ない、という意見も有力である。
また今現在の若い女性の間でも、デートでワリカンしようとする男なんて付き合う価値がない、という感覚はしぶといものがあるようでもある。
虚心坦懐に見て、デート代を男が全部払う(べきだ)というのは、旧時代の遺物である。
旧時代とは、端的に言って「男が上(であるべきだ)」という時代の意味である。
これをこう思わない人って、感性的な視力がよほど低いか、あるいは感性的な目をあえて塞いでいるとしか言いようがないのではないか。
男と女がいて男がデート代を全部払うべきだというのは、
上司が部下にメシをおごる(べきだ)、
先輩が後輩にメシをおごる(べきだ)、
という通念にとても似ている。
その通念に共通するのは、上下の関係、保護と被保護の関係があるということなのは誰にでもわかる。
しかし部下はいずれ上司となり、後輩はいずれ先輩となって自分より「下」にメシをおごるようになる。
これは順送りというもので、それも公平の一種だと言うこともできる。
だが、男と女の場合はもちろん違うのであって、誰がこれを公平だと――男女平等だと――思うだろう。
どう見てもこれは一方通行、一方的な負担である。
むろん女性側からは、「だって自分がカネを出すと言ったら、相手の機嫌が悪くなるから」との言い分もあろう。
しかしなぜ彼が機嫌が悪くなるかと言えば、それは「オレを『下』に位置づけようとするのか。オマエが『下』だろ」と感じるからに違いない。
要するにそういう男は、男女平等なんて信じちゃいないのである。
あるいは世間やタテマエはそうであったとしても、それを自分に適用されるのは嫌なのである。
であるならば「男がデート代を全部出すべきだ」というのは、男女平等理念に反する「遅れた慣習」として、徹底的に排撃しなければならないはずだ。
もっとも実際の世の中では、ごくナチュラルに(なんだコイツと思うことなく)ワリカンに応じている女性も多いはずである。
「今回は男が、次回は女が」という分担を、自然にできているカップルも多いはずである。
しかしいまだに世の中には、「男が上であるべきだ」という――ストレートにそうは思っていなくても、結果的にそう主張しているも同然の――固い信念を持っている女性も、また多いようだ。
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思うに「デート代は全部男が出すのが当然、それが人の道」と思っている女性は(男性もだが)、年齢こそ若くても旧時代の遺物である。
男女平等を妨げる者であり、いわゆる「昭和脳」である。
いやむしろ、「結婚するには男が女の家へ牛10頭を納めなければならない」みたいな部族慣習に似ている、と言うべきか。
そりゃ一方に収入がないなら、もう一方がいつも全額を支払うのはやむを得ないが……
どっちもある程度の収入があるのにそうしないというのは、誰がどう見ても平等ではない。
そして実際に男が女を選ぶ際、「ワリカンにしようとしない女、男が全部払わないと機嫌が悪くなる女」というのは、最も簡便な選別の試金石になっているのではなかろうか。