プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「舞妓の処女は5000万円」-女性の体の過大評価について(中)

 さて、今回の「舞妓の処女は5000万円」というのはさすがに極端(信憑性を疑うくらい)だが――
 
 要するにこれは、(未成年の)「売春・買春」である。

 では道徳的・倫理的観点は別として、この売買春の適正な価格はいくらだろうか。

 まともな値段の範囲とは、とのようなものになるだろうか。

 私見では、こうなる――


 男が女を買って何をするかと言えば、それは一言に集約して「射精」である。

 もちろん射精は、一人でタダでいくらでもできる。

 だったら売買春の値段は、ゼロ円かそれに近い程度になるべきだろう。

 これが私の値段感覚・金銭感覚なのだが、さらに言えば――

 5000万円払って女を抱いてから射精するまでの時間は、たいして長くないと思われる。

 人によっては、ものの数秒・数十秒で射精に至る(笑)

 5000万円払ってこれだなんて、むしろ死にたくなるではないか?

 そして言うまでもなく、射精してしまえば途端にバカバカしい空しい気分になる(俗に言う賢者タイムになる)のは、男なら一人残らず知っているだろう。

 それでもなおこんなことに5000万円払う男がいるらしいのは、男の「業(ごう)」と言うより「病気的な愚かさ」と言った方が当たっている。

 そして今の世の中は、こんな男の愚かさを笑って済ませるのではなく「コスパの悪いバカ」と見なす人の方が、男の中でさえも優勢になってきている気がする。

 
 いや、それを言うならば、世間一般の「普通の」売買春だってそうである。

 たかだか(最大限でも)1時間くらい、しかも後には何も残らない、ただコストのかかる射精。

 これが売買春の端的な姿なのだ。

 それでも売買春が最古の時代から現代まで生き残り、今も(少なくとも一部では)繁盛しているらしいのは、ひとえに「女性の体の過大評価」によるものだろう。

 舞妓の処女とヤることに5000万円払うのが過大評価だと思わない人は、おそらくいない。

 しかしそれならば、普通の風俗で何万円か払ってヤることだって女体の過大評価である。

 おそらく、真に世の中から売買春を撲滅したいなら、この女体への過大評価のバカバカしさを男性たちの間に浸透させるのが一番効果的だろう。

 そして世の風向きは、こういう浸透をさせるのに有利なように進んでいると思われる。