プロレスリング・ソーシャリティ【社会・ニュース・歴史編】

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「舞妓の処女は5000万円」-女性の体の過大評価について(下)

 この「女性の体の過大評価を(心の中で)止めること」は、むろん性犯罪の防止にも有効である。

 痴漢や盗撮がバレたらどんな目に遭うか、職を失い人生を失うものであるか、知らない男はいない。

 そのリスクは恐ろしいもので、たとえ良心の全くない男でも、そのリスクだけで痴漢や盗撮を思いとどまるに違いない。

 それでも周知のとおり、それでも痴漢や盗撮その他の破廉恥行為をやる男は、世に絶えることがない。

 しかし、女の体に触ることや女の股間を録画することに、それほどのリスクを冒す価値は全くない。

 それどころか、カネを払う価値もない。

 だって、痴漢といい盗撮といいそれらは結局、タダでいくらでもできる「射精」に帰結するのだから――


 売買春を産業として成り立たせているのも、

 未成年の舞妓の処女が上得意客に売られる(これは事実だと仮定する)のも、

 あらゆる性犯罪が起こるのも、

 結局はひとえに「女性の体への過大評価」に起因している。

 よって、この過大評価がなくなれば、それらは全て衰退消滅することになる。

 
 これが絵空事でないのは、女性の立場から眺めてみればわかることだ。

 なるほど女性にも、「男を買う」好き者マダムや「男に対して痴漢・盗撮する」人はいるかもしれない。

 しかしそれは、男のやることに比べれば問題にならないちっぽけな規模でしかない。

(盗撮に至っては、ゼロ人かもしれない。)


 これはやはり、女は男の体なんぞに、たいして価値を感じていないということである。

 女は男の体を過大評価することはせず、

 すなわち男の体にカネを払う価値、リスクを負う価値なんて認めず――

 だからこそ女が男を買うこと、女が男に性犯罪するなんてことは、極めて微少にしか起こっていないのだ。

 
 男性はもういい加減、女性の体に対する過大評価を止めるべき頃合いではないか。

 そんなのに大金を払う価値はなく。ましてや人生を賭けるリスクなんて全然ないと悟るべきではないか。

 そういう過大評価があるからこそ、今回告発されたような「闇」があるようなのだから……