元京都の舞妓という女性が「舞妓界の闇」を告発したということで、京都や舞妓関連業界は大揺れになっているらしい。
(⇒ 週刊女性PRIME 2022年6月30日記事:元舞妓の「5000万円で人身売買」衝撃告発の余波!是枝裕和監督が手がけるネトフリ“舞妓ドラマ”にとばっちり)
思うに、現代の舞妓さんたちが芸を披露するだけでなく体も売っているだろうというのは、世の「常識」みたいなものである。
そりゃそういうことがあるだろう、未成年の舞妓に酒を飲ますこともあるだろうとは、世の中の人の7割くらいは漠然と「わかって」いるだろう。
よって今回の告発の内容は、それだけでは衝撃的と言えるものではない。
しかしその中で、誰もが衝撃を受けたろうことが一つある。
それが、この告発女性が
「5000万円で処女を売られそうになった。そのお金は舞妓自身はもらえない」
と言っていることである。
これは「未成年の処女」ということなのだろう。
しかしそれにしても、誰もが思うはずである。
いったい処女なんていう属性に、そんな5000万円もの価値があるのか、と。
これは当の女性たちでさえ、そんな値付けはオカシイと感じずにいられないのではないか。
なるほど洋の東西を問わず、だいたい世界中で女性の処女性というのは尊重・珍重されてきた歴史がある。
しかしこの現代で、「未成年の舞妓」という(確かに珍しい)属性がプラスされているとは言え、それに5000万円も払うのは狂気の沙汰だと思われまいか。
ちなみに私は、舞妓だろうがそうでなかろうが、女性の処女性なんぞにビタ一文払う気はない。
私は女性の処女性に、全く価値を感じない。
しかし(だからこそと言うべきか)、それに5000万円払う男の気持ちが完全にわからないわけでもないのだ。
だって世の中には、私が「こんなもん何の価値がある」と思うような絵に何千万円・何十億円の価値が付いている、いう類いのニュースが腐るほどあるからである。
そう、世の中にはいるのである――
私やあなたが1000円の価値もないと思うようなものに、5000万円の値段を付けて買う人というのが。
つまり「舞妓の処女に5000万円」というのは、「何がいいのかわからない絵に5000万円の値が付く」というのと極めて似ている。
いや、全く同一と言っても構わないだろう。